2010年12月22日水曜日
お客様感謝の集い
2010年12月18日土曜日
困った///
ジョギングはウォーキングと違って、ものすごい量の汗をかく。当然体調も良くなり、もっとも体調が良いので走る気にもなるのであろうが、相乗的にすこぶる体調が良くなる。何よりも食事が美味しい。
暗くて走れなくなって、美味しい食事がどんどんと身体に蓄積されるようになった。あまり間食をしていなかったものが、ついつい子供の食べ残しのスナックなども、口に運ぶようになった。大学受験を控える長男の塾の帰りが夜の10時20分、佐世保城山町。これまでは晩酌で酒を飲んで、何となく寝ていた時間である。起きている時間が長くなれば、食べる量も増える。
先般、ゴルフ場の風呂の体重計に何気なく乗ってみた。何と65キロを超えている。過去に記憶がある数字であるから、少々の驚きの程度ではあったのだが、その後しばらくして自宅の体重計で計測したところ67キロに近づこうとしている。未知の領域である。このままではごく自然に大台に突入する。
こりゃいかん、最低3キロ、できれば5キロ、減量しなければならない。さて、どうするか。
2010年12月3日金曜日
その2
しばらくして電話があった。「エ~、してませんよ、何でですかね~」と、携帯屋の彼にも分からない。僕の頭のCPUが高速回転しピンときた。「オマエ、シャープのスマートフォン、使いよると」「はい、よかですよ」「難しかろ、Y本君には」「いや、そがんことなかですよ」「使いこなしきれんけん、他の人に宛てたメールがオイのとこにきよっとバイ」「・・・・・」
業務連絡:簡単携帯に代えろ、シャープのスマートフォンは無理、機種変更料は俺が出す・・・
2010年11月30日火曜日
PDA評論家として・・・
このauから出るスマートフォンには僕も大変興味があった。シャープの株も持っている。auの会社であるKDDIの株も買おうとしたのだが、ここ2月ほどで値上がりして買えなかった。この機種の予約は20万台を超え、大ヒット商品となったようである。新物好きの僕としては、本来その一員であるべきなのだが、PDA(パーソナルデジタルアシスタント)評論家としての僕の考えでは、いくつかの懸念がある。
僕の予測としては次のようになる。これは一般的には使いこなすことができず、満足度は上がらない。逆に改めてガラケイ(ガラパゴス携帯:日本ならではの機能満載の従来型の携帯電話)の便利さや操作性の快適さが再認識される。
まずPDAとして活用しない人、ブログやツィッター、株やネットバンキングの利用者以外ではスマートフォンはあまり必要ないはず。必要な人には電池がもたない、アップルのアイフォンのように直観的な操作に至っていない、コンテンツが少ない、などいろいろな理由がある。致命的には最大のセールスポイントであるカメラやビデオなど機能を活用すれば電話をかける電池が無くなるということである。結果仕事で使う人には携帯電話との2台持ちが必要となってくる。
早速友人がシャープのスマートフォンを見せに来た。電池の残量がなく、仕事中でまだ電話をしなければならない状況で、電池が切れるのが怖くて、操作はできなかった。アイポッドタッチは今なお使用しているようで、2台持ちからは解放されていない。やはり僕の予想した反応である。スマートフォンは維持費がかかるが、アイポッドタッチは維持費がかからない。これとのガラケイ、2台持ちが一番便利なようである。
2010年11月28日日曜日
いよいよ師走

カナダ輸入住宅が、事業の柱に育ってきた。良いものは良い。総レンガ貼りは壮観である。30万エコポイントが付いて高機密高断熱、これは売れると実感する。2日は女性スタッフの2級建築士製図試験の合格発表、土曜日はまた地鎮祭。
日本がまだ高度経済成長を続けている頃、努力は報われて、明日は今日よりも良くなって、そんな中師走はとても忙しくあわただしく、しかしそれは新しい年の幸せの裏付けのようでもあり、活気が溢れていた。時代は移り変わったが、わが社は今もそうありたい、発展途上でありたいと、経営者として思う。
せわしさを 良しとぞ思う 師走かな
明日も良し 走れや走れ 師走なり
2010年11月20日土曜日
久々の台湾

ホテルではレストランや一部の客室では無線LANの環境が整っていて、簡単にメールのチェックもする事が出来る。本当に便利に、そしてボーダレスになった。
ボーダレスと言う事は平準化と言う事でもある。外国らしさと言うものをあまり感じない。セブンイレブンが有り、吉野家さえあ

台湾らしいもの、に檳榔とその販売方法がある。檳榔:ビンロウ、木のみである。「ヤシ科の常緑高木。マレーシア原産。幹は単一で,高さ20メートル近くになる。葉は長さ1~1.5メートルの羽条複葉で,柄が長く,幹頂に集まってつく。果実は長さ約5センチメートルの楕円形で黄赤色に熟す。熱帯地方では,未熟な種子に石灰をまぶしキンマの葉に包んでかむ習慣がある。」と大辞林にはある。沿道にはこの檳榔を売る屋台があり、風俗風の女性が客引きをする。一種の

レストランの朝食の風景を見ても感じるのは欧米や日本はビジネスマン、中国は団体観光客、と言った感じである。免税店でも日本人よりも中国人の方が声もでかく購買力もある様でブランド品を大量購入していた。
帰りは、早朝台北を出て昼に羽田空港着、セルコホームの全国総会に出した。株価も少しずつ上がり、日本経済も復活するか、ろ思いつつも、東京はあまり変った風もない。AIPECの影響で至る所に警官が立っていた。ただ厳しい警戒体制と言う風な緊張感は感じない。それでも駅周辺のコインロッカーはすべて使用禁止で、キャスター付きのバッグを引いての行動も面倒で、新宿に行ってみたが、コーヒーを飲んで早々に空港に向かった。
活気はなくても、田舎がいい、つくづくとそう思う帰宅であった。
2010年11月14日日曜日
iPadを買った。
アパートや分譲地の紹介、施工写真集や提案資料を効果的にプレゼンテーション出来る。ここ半年ほどiPod touchを使ってみて、Appleの商品のおおよその使い勝手が分かった。少数精鋭経営をどんどんとバージョンアップさせる。普通の女の子が工業高校建築科を卒業して、OLになって、二級建築士になって、iPad片手に接客し、最先端機器で足らざるを補い、営業し、年間10棟契約出来るようにする。
すべての社員が建築士や宅建の資格を持ち、接客し、打ち合わせをして、提案して契約をする。原価計算をし現場を管理し、満足をしていただきお引渡しをする。その有力な手助けにiPadはなるだろう。どこまで生かしきれるか、会社の能力(=経営者の能力)の見せ所、やるバイ、元気宣言!!
2010年10月30日土曜日
ああ玉杯に・・・
恒例の東京六大学OB懇親会が開催された。校歌を歌いエールを交換し、楽しい青春の一時であった。各大学、40代から50代前半が「若い世代」であり、年々高齢化している様に思う。若い世代を入れなければと言うのが各校共通の課題である。かつては地方の地域に根ざした名門企業があった。建設業のみならず、ホテルやタクシー、自動車、運送、印刷、色々な業種にそれなりの会社があり、商工会議所や青年会議所などに人材を送り、地方経済を支えて来た。六大学の卒業生は国の根幹を支える人材を送るとともに、地方のこうした企業にも人材を送って来た。今、地方のそんな企業が倒産廃業を余儀なくされ、結果、六大学OB会がどんどん高齢化してしまう。その卒業生が、田舎に帰らなくなったのである。地方にはそれなりの職や引き継ぐべき家業が無いのである。
ちょっとダンディーなじいさんがいて、妙に頭の切れるオヤジがいて、カッコいい先輩がいる。聞けば早稲田のOBであったりする。今にして思えば、地方の厚みであったのだろう。さらに昔、「野菊の墓」の小説の頃には農村にさらに重厚な文化の礎があったのだろう。
来年は統一地方選である。市会議員に出る所謂若手は日頃どんな仕事をしているのだろうか。県議会議員は一頃は建設業者で占められていたが、今や県の許認可の福祉事業かもしくはや労働組合、二世議員の家業の様相である。
昔、「ああ玉杯に花受けて」と言う旧制高校の寮歌があった。
1. 嗚呼玉杯に花うけて 緑酒に月の影やどし治安の夢に耽りたる 栄華の巷低く見て向ヶ丘にそゝりたつ 五寮の健児意気高し
2. 芙蓉の雪の精をとり 芳野の花の華を奪ひ清き心の益良雄が 剣と筆とをとり持ちて一たび起たば何事か 人生の偉業成らざらん
3. 濁れる海に漂へる 我國民を救はんと逆巻く浪をかきわけて 自治の大船勇ましく尚武の風を帆にはらみ 船出せしより十二年
4. 花咲き花はうつろひて 露おき露のひるがごと星霜移り人は去り 梶とる舟師は変るとも我のる船は常へに 理想の自治に進むなり
5. 行途を拒むものあらば 斬りて捨つるに何かある破邪の剣を抜き持ちて 舳に立ちて我よべば魑魅魍魎も影ひそめ 金波銀波の海静か
2010年10月20日水曜日
受験モード
高校3年の息子、かつては東京の方には行きたくないと言っていた。地方国立大学志向である。通っている高校もどちらかと言うと国公立大学への進学を良しとする傾向があるように思う。僕の頃もそうであった。ただ僕は高校生になった時のカルチャーショックからなかなか抜け出す事だで来ず、成績は常にアンカーから10番以内にいた。で、最初から国公立の模範的範疇には入ることがなかった。
高校2年の時、あの名門ラサール高校から転校生が来た。当時彼の父親は佐世保市内に何軒かの映画館を経営していた。この「興行」的な分野は、いろいろな分野に「顔が効く」商売の様であり、その転校生、彼もやはり模範的な優等生ではなく、その対極に位置する存在であった。勉強は当然良くできた。しかもあまり勉強をしている風ではない。そんな彼と付き合う内に、僕も勉強が出来る様になって行った。一緒に勉強するなんて事はもちろん無い。なんせ彼は不良である。当時トゥデイと言う喫茶店があり、ミュージシャン系不良の巣窟となっていたのだが、そこにただ、なす事も無くもんもんとしながらたむろしていた。彼とは今も付き合いであるが、大学を経てソニーミュージックに勤めたのであるから、彼は不良では無く、ミュージシャンなのである。不良っぽく見えるミュージシャンなのである。
不思議なものでちょっとしたきっかけで成績は良くも悪くもなる。ただ受験への遅れはいかんともし難く、僕は国立5科目受験を捨て、私立3科目受験に活路を求める事とした。もちろん東京志向、「男は花の都大東京ばい」、とにかく東京の大学にいかねばならぬ、そんな感じであった。
そんなこんなの自分の人生を振り返ると、東京志向と言うのは「人生の気概」である様な気がする。地方国立大学も優秀でいいのではあるが、東京の有名難関校にチャレンジする、その気概だけでも見せてくれたらと思っていた。それが近頃、息子は、そんな事を言い始めた。またその難関突破のためにその攻略ポイントである「英語」の塾に通うと言うのである。
高校では夜の7時まで、自習室で勉強がなされている。その後の城山町の塾に行って英語のカリスマ教師のDVD学習を10時までする。僕は普段は酒を飲んで寝ている時間ではあるが、そんな息子の気概が嬉しくて、迎えに行く事にした。息子との帰りの車内での会話もまた楽しい・・・
2010年10月10日日曜日
スマートフォン
auからスマートフォンが発売される。スマートフォンに日本ならではの携帯電話の機能も加えられ「2台持ち」の必要がないようである。あとは使い勝手とアプリの充実度である。これが十分使い物になれば、携帯電話とiPod touch、両方を持つ必要がなくなる。
業務連絡:AuショップY本社長、新しいスマートフォンが来たら、モニター価格でください。携帯情報端末評論家および広告塔の僕が使って、良かったら必ず売れます。
と言うのもこのY本社長、この手の端末に暗い。結果、端末の優れた機能を使いきれず、徹底的に使い倒さなければ気が済まない僕が使ってそのよさを周りに広げた方が、商売繁盛に繋がる。「出たら僕もシャープのスマートフォンにしようと思うんです」とY本社長は言うのであるが、簡単携帯の広告塔になった方が良さそうである。
2010年10月9日土曜日
2010年9月27日月曜日
秋の夜長

肌寒くなって来た。いきなりの秋である。ソファーで人間の様に仰向けで寝そべるホームズに、お腹が冷えないよう、そっとタオルケットを掛けてやった。
今期も間もなく終わる。社業はまあまあの成績である。小さくても強い会社、と言うのが僕が描く理想型である。少しずつ近づいて来た。来季はいよいよ佐世保南部地区にモデル展示場を置き、同地域からさらに東彼杵3町へエリアを広げる。今期、女性スタッフ1名が2級建築士にチャレンジしており、12月には合格の朗報を得る事が出切るだろう。僕を含めて8人のメンバーの内6名が2級及び1級建築士となる。来年は残る2名も取得するだろう。
一人一人、全員が接客しプランを作成し、提案して契約する。さらに現場を管理し、受発注し、原価を管理出来る、そんな会社でありたいと思っている。それぞれに完結出来るので、一箇所の事務所に全員が集まるのではなく、広範囲にそれぞれのエリアの展示場を拠点として、常に接客しながら業務を進める。共有すべき情報や資料はクラウドに置き、それぞれにネットからアクセス出来るようにする。そんなイメージを持っている。
要するに、最小の人員、最小の費用で最大の成果を実現するにはどの様にすれば良いかの模索である。小さな会社の能力は経営者の能力そのものであると言われる。経営者の能力、「経営力」とは「実務力」、「財務理解力」、「経営戦略構築力」、「人材育成力」からなる。中でも人材育成と言うのが一番難しい。
いろいろと 考えるべし 夜長なり
温め酒 思案いろいろ 二三合
2010年9月22日水曜日
久々の韓国

韓国は久し振りである。前に行ったのは、オリンピックやサッカーワールドカップの前である。おぼろげな記憶と比べてみて、街も何となく落ち着いた感じがする。クラクションの騒音が余りしない。そんな話をするとガイドさんも、そう言えばそうですね、との感想であった。オリンピックやサッカーワールドカップを通して世界に通用する街づくりが進められた成果であると言う。その後の経済発展によって自信を持った韓国の人は何処となく寛容になったような気がする。増して韓流ブームで、日本人が韓国に憧れ沢山の観光客が訪れていると言う事が日韓友好に大きく寄与しているようである。
あいにく板門店の国境は北朝鮮の政情緊迫化により、軍事演習が行われると言う事で、観光できなかった。世界遺産を巡る観光となったが、行く先々、どこも暑い。韓国も異常気象で今年は特に雨が多かったそうである。プルコギもカルビ もサンチェと言うはっぱに巻いて食べるのだが、それが普段の何倍もの値段になっているそうである。そんなサンチェを何回かお代りをすると、不機嫌そうな雰囲気が伝わってきた。
地理的にも東京よりは近く、あまり「外国」を感じない。それでも日本が一番いいな、そんなことをつくづくと感じるのは年をとったと言うことなのだろう。いかんいかん、もっと自分自身に刺激を与え続けなければ、ドメスティックに安住していてはいかん・・・
2010年9月9日木曜日
男おいどん

2010年9月1日水曜日
ほぼ80台
ここ5回ほど、80台で回れるようになった。ゴルフの話である。別にシングルを目指している訳ではないが、かと言って、いつまで経っても90台がやっとと言うのもかっこ悪い。ゴルフが下手だと運動神経が悪いだけではなく、頭まで悪く言われる。年齢のせいにもできない。プレイが終われば必ず反省会になる。年をとって体力が落ち飛距離が出なくなるのは仕方がないが、その分経験が増え、技術が向上し、年齢に合ったクレバーなゴルフと言うものもある、などと講釈を垂れられる。さらに、だいたいスイングの基本がなていないと技術指導までされ、ただただご拝聴するしかない。指導する側は、別段優しかったり、価値ある技術や優れた指導力がある訳では決してない。これはゴルフのプレイが終わった後の、勝者と敗者を始めとした序列が形成された後の、その厳然とした現実を敗者に解らしめ、勝者をしばしの優越感にしたらせる為の儀式である。モンゴル相撲で勝敗が決し、勝者が敗者の周りを鷹が翼を広げ遊弋するような感じに似ている。そんな時、これまでの僕は、せっかくゴルフを楽しんだ後ですから、ゴルフの話ばかりではなく、仕事などの四方山話などの情報交換でもしましょうよ、などとうそぶいていた。ところが今は、ゴルフを一緒に楽しむメンバーが少しでも上手になってもらうために、せっかくの機会だからと、ゴルフの心構えやスイングの基本などを指導するのに忙しい。もちろん聞くものはつらそうである。良心的に相槌を打つものも決して聞き入り、納得している、興味を持っている、ではなさそうである。プレイスタイル、血液型、いろいろな分類はあっても、ゴルファーは基本的に強情である。
好調の第一はドライバー、アイアンのスイングがスムーズかつ安定したこと。ゴルフのスイングはこうしなければならないと無理に窮屈に体をひねったり回したりするのではなく、子供の頃、ソフトボールなどでごく自然にバットを振っていた様に、スムーズにクラブを振り回す、振り切る、そのポイントと角度を掴んだことによる。気付いて見れば難しいことではなく自然な事、であった。左肩がぐっと入り、スムーズに体が回る。遠心力で構えた位置からポイントがずれない様にシッカリと脇を締める。左足をどうするとか、右に体が動かない様にするとか、トップでのクラブの位置、角度、その後の軌道、そうした難しいことは考えない。ただ、スムーズにシッカリとスイングができるという事だけに帰結させる。
パターも調子が良い。先ずは強くシッカリと打つと言うこと。打ち出し方向と体の方向が平行なっているか、パターはスクゥェアになっているか、パターをまっすぐに引いてまっすぐに打ち出せるか、それなりの工夫と感性、それらによって掴んだ技といいのもある。ピンまでを歩測し、打ち幅と歩幅を合わせる。要するに経験値を蓄積させるメカニズムである。ゴルフはいかに工夫できるか、の問題でである。となれば経験値が蓄積されるように工夫しなければならない。我流で80から85でまわるゴルフを習得するのが僕の目標である。2010年8月30日月曜日
エコ窓と外窓

わが家は住宅会社を経営している者として幾つかの実験的な取り組みをしている。その一つにキマドがある。木製のペアサッシである。木の家の象徴として、また断熱、気密性も高く結露もしないと言う事で使ってみた。結果は最悪で、雨の多い日本の気候には、腐食劣化が著しく、ここ数年はこのキマドをどうすかと言うのが、わが家の最大の課題であった。窓を変えると言うのは構造躯体に及ぶ大工事で、外壁、内壁、双方を一部とはいえ剥がして取り組まなければならない大工事なのである。
で、近頃流行りの内窓リフォームと言うのを見ていてふと気づいた。外窓リフォームと言うのはないのか。腐食の激しいキマドの外側にアルミサッシを取り付け雨を防げば良い。調べてみると、あった。意外に簡単な施工である。約2日、大満足の施工結果である。もっと早く気づいていればと思う。
近頃のベストバイ、iPodタッチ、そのケース、そしてこの外窓リフォーム、想定以上の大満足であ。そう言えば、内窓リフォームも施工に対する満足度が高いようで、またエコポイントの対象でもあり少しずつ増えている。今日も一件の問い合わせあり・・・
2010年8月21日土曜日
2010年8月20日金曜日
お盆の感じがしなかった。

お盆の間、文藝春秋に掲載される芥川賞を読むのが、例年の行動パターンである。「乙女の密告」と言うのが今回の受賞作である。相変わらず石原慎太郎の選評は辛辣である。読みやすく面白みはあったが、盛り上がり感に欠けた。さて、前回の受賞作はなんであったか、余り記憶に残っていないが、要するに「芥川賞」の社会における役割が、そんな時代なのである。
お盆の間、行き交う車は他県ナンバーが多い。全国的な傾向なのであろう。高3、中3の受験の息子、高一の娘はクラブ活動で家族旅行はしばらくお預けである。そうこうしている内に子供達は巣だって行くのだろう。
15日の日曜日、トイレなど 掃除をして、夕方、鹿町温泉までウォーキングをして、サウナと温泉で汗を流し、横のレストランでビールと冷奴とウインナーで、アイポッドでブログを書きながら時間を過ごす。帰って龍馬を見ながら日本酒を飲んで、今日は終わり、明日からまた頑張ろう。
2010年8月12日木曜日
骨盤で走る・・・
感覚的にもそれが的を得ていると思う。要するにふくらはぎの様な小さな筋肉ではなく、体幹の大きな筋肉を使って走るイメージである。小さなエンジンを吹かせるのではなく、大きなエンジンを出来るだけスローな状態で巡航する、それが極意である様だ。と、やってみるのだが、なかなかうまくフォームが決まらない。疲れる。今まで以上にちょっと走っては立ち止まり、となる。
もうちょっと頑張ってみよう・・・
2010年8月2日月曜日
おれのジャイロ

去年の晩秋、稲刈りが終わった田んぼで、息子に僕の3輪原付ジャイロを運転させてみた。息子の好奇心が爆発して制御不能になって、僕みたいな不良高校生になってはならぬと思って、先手を打って、安全な田んぼで、乗せてみたのである。実に楽しそうに乗りまわし、最終的に土手に激突して、終了した。しばらくは激突の衝撃で傷んだジャイロに、不具合を感じながら乗っていたのであるが、遂にあまり乗らなくなり、ガリバーに行くかどうかの瀬戸際のような状況となった。思い切って修理と整備に出し、その費用約7万円、日曜日、佐世保市大塔町のホンダから、乗って帰った。
夏は、バイクが気持ちいい。今は亡き「江迎町」のナンバープレート、「あ 10」。まだまだ使えそうである。子供たちは今日も学校である。
2010年7月28日水曜日
2010年7月27日火曜日
たまりかね 出る芽を襲う 夏旱(ひでり)

ツタヤで吉田拓郎のCDを借りて携帯電話に入れ、懐かしい歌を聴きながら作業をする。かぐや姫、松山千春、沢田研二、も借りた。5セット、これで1000円、昔買っていたLPのアルバムは2000円を超えていた。
アイポッドタッチに月読君というソフトがある。夜、出てサルク事も少なくなり、あまり月を見ない。今日27日は旧暦で水無月16日、十六夜(いざよい)の月となる。15夜の満月は望月、と言う。昨日の月である。ハハァ~、望月とはそう言う意味であったか。携帯情報端末は非常に便利で、いろいろなことを教えてくれる。何よりも自分がいかに無知であったかということを、懇切丁寧に教えてくれる。
家にいても熱い、外も熱い、引くも地獄、進むも地獄、土の中も熱かろう、外の旱も耐えがたい、されど命は育つ。
2010年7月13日火曜日
梅雨明け
今日は朝から地鎮祭、その後は畑をしなければ。ふと思う。コンピューターの進化も凄いけども、種と土も凄い。作物が育って行くのは不思議で偉大な事である。黒大豆を蒔いてみた。枝豆で食べるととても美味しい。
2010年7月8日木曜日
梅干しと胃カメラ3

胃カメラがこんなに楽であると、何となく将来が明るくなる。いざという時の心配をしなくていい。ヨシオちゃんによると腸の検査も苦痛はないようである。胃が悪くなれば胃カメラを飲まなければならない、その苦痛を思うとそれだけで神経性胃炎になりそうな気が

55歳でホノルルマラソンに挑戦しようか、と思い、週に3回、3キロほどのジョギングを始めた。ウォーキングと違ってジョギングはきつい。驚くほどの汗が出る。42.195キロなど、到底無理である、と思いつつも何とか続けている。雨が続き、芝生も雑草が伸び放題になっている。心がすさんでくる。3日ほど雨が降らず、この時とばかりに芝刈りをした。爽快な気分だ。
2010年7月4日日曜日
2010年6月30日水曜日
すぐれもの・・・
『もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの「マネジメント」を読んだら』、という本が売れている。なかなかの内容の本であることは経済新聞の紹介などでも知っていた。でもまだ、買っていない、読んでいない。
アイポッドが爆発的に売れ、その紹介がニュースなどであるにつけ、これは売れる、と感覚的に思った。文芸春秋などの雑誌が電子ブックで配信されるようになるなら、必ず買う、そう思う。そんなことからアップルに関心を持った。これまでシャープのザウルスなどを使用していたが、5年ほどたち使い勝手も悪くなっていた。アップルの色々な商品に関心を持ち、アイポッドタッチと言う商品が、ポケットに入る、しかもザウルス以上の性能であることが、何となく予想された。で、購入した。3万円はしなかった。
会社は月々の支払いをインターネットバンキングで行っている。弊社女性スタッフが入力をして、僕が承認をする。外出先でアイポッドタッチでやってみた。無事完了した。人前で話したり文章を書いたりすることが多い。話のネタの蓄積や下書きなど、便利である。事典や本などを、たくさん持ち歩いているようなものである。こんなに使い勝手がよく、高性能であるとは、正直驚いた。国粋主義者の僕も、アップルに敗北宣言である。
もしドラ(もしも高校野球の・・・)も、電子ブックで購入した。実に面白い、優れた作品である。某高校のサッカーの監督に読ませたい。しかし、名刺ほどの大きさのアイポッドタッチ、A4サイズのアイパッドよりも僕にとっては便利である。アイフオンのように電話の機能までは必要ない。アイポッドタッチ、これはすぐれものである。
2010年6月28日月曜日
日本経済新聞のサッカー記事・・・
高校のサッカーの保護者には小学校や中学校の指導者も何人かいる。会話もレベルが高くまた熱い。僕はサッカーは全くの素人ではあるが、子供たちの応援で、随分と目が肥えてきた。特にこの前の5月の中学校の天草遠征で、子供と先生のミーティングを傍らで見せてもらって、一段とサッカーに対する知識が増えた。今度の4月の移動でこられた先生は指導者を指導する立場にもある先生と言うことで、子供たちの試合をビデオで撮って、それを見ながらの指導は実に明確である。先生の指導を子供たちがしっかりと受け止め、イメージを共有していく過程が、傍らで見ているぼくにも伝わってきた。
西高サッカー部の懇親会でのいろいろな会話の中で、サッカー経験者でも指導者でもない僕のサッカー論は意外に、好まれる。その一つは元東大総長の蓮実重彦氏のサッカー論の紹介。そして日本経済新聞のサッカー記事が秀逸であるということ。あれはサッカー記事ではなく文学である、との僕の論に、何となくふんわりとした感動で受け止められる。そんなことを言いつつ、しかしあの記事はだれが書いているのだろう、そう思い再度新聞を開いて確認すると「阿刀田 寛」としてあった。阿刀田とくればふつう高、あの有名な阿刀田高、調べてみたらその阿刀田高氏の御子息であるそうな。なるほどと、思った・・・
2010年6月22日火曜日
胃カメラと梅干の種2
年に一度の健康診断の後、通知表が届き、心配な点は例年、ヨシオちゃんにコメントを求める。「いや~、そんぐらい大したことなか、おいなんか●●●ばい」、とけた外れの数値を言うヨシオちゃんの言葉に一安心する。胃カメラを飲まなければならないとなって、ヨシオちゃんに相談した。そんな時、彼は非常に楽しげである。相対的に自分が健康に思えたり、自分だけが不健康ではないのだという安心感からか、実に優しくもある。
「福田内科でいつも飲みよるばってん、どが~んもなかよ、ふゎ~と寝たごとなって、どがんもなか」、と言うことで、さっそく福田内科を予約することにした。
2010年6月17日木曜日
胃カメラと梅干の種

2010年6月15日火曜日
大魚を逸す・・・
一回戦、小佐々中に3-0、で完勝、歴然とした体格差も、江迎中の華麗なるパスサーカーで翻弄し、決して弱くは無い小佐々中を退けた。2日目の第1試合、対相浦中、ここでも見ていて惚れ惚れとするようなパスサーカーで5-0で圧勝、いよいよその日2試合目、ベスト4を賭け佐世保北中と対戦した。簡単に勝てるだろうと言う思い、ちょっとした油断、1年生を含めた江中ちびっ子軍団には2試合目での体力低下は著しく、0-0で、PK戦となり、結果、敗退。涙する選手たちを見て、保護者も涙涙・・・。
敗者復活戦に回った小佐々中はその後勝ち進みベスト4になった。残念ではあったが、美しい江中サッカーは今後さらに発展していくだろう。これからが楽しみである。
2010年6月5日土曜日
空と山 映して四五(しご)日 田植え待つ
夜はまた蛍が舞い水田に月が映り、趣ひとしおである。
2010年6月3日木曜日
2010年5月28日金曜日
2010年5月22日土曜日
2010年5月19日水曜日
2010年5月15日土曜日
完成見学会(佐世保市長坂町)
「自慢のわが家」完成しました。弊社自慢の美人スタッフ(業界では「大成のパフィー」と称される)がご案内いたします。佐工建築科、建築の専門学校を卒業し、今年は2級建築士になる、予定である。
2010年5月11日火曜日
105 総括
今回で3回目のチャレンジとなる。完歩、愛野で挫折、そして完歩。1回目は途中で足が痛くなりテーピングをしたのだが、そのぐるぐる巻の稚拙なやり方でうっ血した足が途方もなく腫上った。それでも意地のゴールである。45歳だった。その時、もうこんなのには出ないとつくづく思ったのだが、月日が経つにつれ、その時の苦しみが記憶から遠ざかるとともに、足さえ腫れなければそう大したことではないと、思うようになった。そして去年、50歳になった記念に歩いて見ようと思った。シェイプアップ用のきつく引き締まったパンツを履いて定期的に訓練し、そのパンツを履いて出場したのだが、脚がひどく痛くなり、途中で普通のパンツ着替えたのではあるが時既に遅く、年齢と共に衰えた体力と気力では辛うじて愛野までが限界であった。途中で挫折すると、これで終わる訳には行かないと思うのは人情である。いづみ税理士先生は去年の諫早挫折の時に既に今回のリベンジを心に期していた。
人間とは本質的に「行」すなわち「苦行」を求めるものであろう。何かを振り払おうとしたり、願いを掛けたり、悟りを開こうと思ったり、悪しきものに流れるのも人の常であるが、また一方では苦行・修業の類いが好きなようである。あのヨシオちゃんでさえ、105、また出てみん、という誘いに、1回目挫折、2回目男の意地でボロボロになりながらゴールし、もう2度と出るもんかと誓ったはずなのに、そうね、またやって見るか、となった。
3回出場してみて、分かった。完歩するには靴やウェアや体調や精神力や、確かにいろいろな要因がある。そのすべてが揃ったとしても、最終的に愛野を過ぎたラスト30キロは地獄の苦しみである。靴を替えれば、「歩く助け」を履けば、いろいろ工夫しても結局は、脚の皮はずる剥け、筋肉痛は極みに達し、「あ~、出なきゃ良かった、2度とでんぞ」、そうつぶやきながらとぼとぼと歩くことになる。
アスリートになるのも一つの方法ではあるが、そんな柄でもない。健康のために歩くことは重要ではあるが105は恐らく健康には有害である。これで105は卒業しよう。もう2度と出ない・・・
2010年5月6日木曜日
後遺症2
2010年5月5日水曜日
2010年5月4日火曜日
2010年5月2日日曜日
2010年4月30日金曜日
2010年4月22日木曜日
2010年4月21日水曜日
2010年4月19日月曜日
これは優れもの・・・
2010年4月18日日曜日
2010年4月9日金曜日
ザウルスは・・・
ザウルスにブンコビュアーと言う機能があり、電子書籍を読むことができる。ネットに「青空文庫」と言うのがあり、無料でダウンロードできる。太宰治や正岡子規など40冊ほどダウンロードしている。便利である。ザウルスは5年ほど前の商品である。今なお使い勝手がいい。携帯電話をはじめ日本の情報端末は大変優れているのであるが、日本国内仕様であるために国内でのみの特異な進化をとげ「ガラパゴス化」と呼ばれ世界的な主流にはなれない。国内市場の縮小とともに商品開発も続かないようだ。が、いつの日かソニーのウォークマンのような画期的な商品が日本から生まれるはずだ。
アイフォーンの場合その部品の特にタッチパネルなどは9割が日本の商品で構成されていたそうであるが、アイパッドはほとんどが韓国、台湾製であるそうだ。がんばれ日本。
立ち上がれ日本、という新党ができたそうである。かつて政治を志していた頃、60代70代の権力にしがみついていた所謂指導者と呼ばれる人たちは、「いや~北野君、立たんごとなったらおしまいバイ」なぞとほざき、権力への恬淡を装っていたが、今なお、一生懸命のようである。立ち上がれ一本、と股間を鼓舞し、老醜に鞭を打つ。
今宵はザウルスで文学にふけよう。
2010年4月1日木曜日
おうちで見学会:佐々
佐々町で4月3、4日、完成見学会を開催します。実は「おうちで見学会」をやりたくてブログをライブドアから動画がアップできるグーグルに変更しました。今回は取り急ぎで十分な編集ができませんでしたがこれから、映画監督並みの「力」で、動画をアップします。