2012年3月26日月曜日

仮面浪人




久々に畑に出た。冬野菜が終わった後の畑をトラクターで耕し、グリーンピースの草を取った。一日がかりの作業となった。スマホで音楽を聴きながら、その音楽をBGMにしながら、色々な事を考えたりもする。日々の生活の中で、地に足をつける、大事なことの様な気がして、楽しい事ではないが、僕にとってはしなければならない、作業である。
 二浪となった長男は、間もなく河合塾本郷校に行く。つまり、上京である。受験時期に東京を往復するより、いっそ、どうせ寮に入るなら、東京に行った方が効率的ではないかと、僕も進めはした。東大理類プレミアコース、何となく東大に入れそうな名前、長男は東大に合格したような気持ちになっているのではないか。
 「東京に行ったら、遊ぶとやないと」
 「いや、浪人生はプー程度の扱いやけん、ステイタスが無い奴には東京は冷たいけん、遊べんよ」、などと妻と心配したり、期待したり。
「志が高いけん、大変ね」と、妻も周りから言われるらしい。実情はそうではなく、まさに恐縮至極である。東京に行きたいと言うのが九大をやめて浪人生になったきっかけである。何とも幼稚な考えである。しばらくして「今、何を勉強して良いか分からん。東大は理1、2、3と分かれてるけど、一二年の勉強で具体的に何を勉強するか決めて学部、選ぶと。だけん、東大に行こうと思うと」と言うようになった。まあ、まともな事は言えるようになったかとホッとしたものの、不合格から予備校入学までの約一月、しばしの長男の生活は、何んとも覇気がない。
 もうしばらくで長男も出発である。昨日、長男がふと、これ、見て、とアイパッドでネットを開いた。いきものがかりと言うグループの「よっちゃんのつぶやき」と言うブログ。

受験生のみなさん、がんばって。

18歳当時、僕は京王井の頭線沿線にある都内の私立大学に通っていました。
現役で受かった私立大学には何の不満も無く、むしろその大学の校風は大好きだったし、その学生生活もとても楽しいものだったのですが、入学前から僕はどうしても諦めきれず、「仮面浪人」という変わった形の受験生活を送ることを決めていました。

いろいろ話すと長くなるのですが、それまで全てを中途半端にしてきた自分が許せず、一度でいいから自分の意志と責任で初志を貫徹してみたいという、今から振り返れば青臭くて恥ずかしい気もするのだけど、当時の18歳の自分にしてみればとてもとても大きな理由が、そこにはありました。

そんな風にして、始まった「仮面浪人」生活。

それは、今思い返しても、とても過酷な日々でした。


まず朝は4時に起き、海老名サービスエリアの早朝バイトに出ます。

もう一度受験をしたいというのは、まぎれも無い自分のわがまま。
少しでも親に迷惑をかけたくないと、予備校の受講料や大学の受験料、受験に関わる全てのお金は、アルバイトで自分でまかなうというルールを決めていました。

今から考えれば、それを遥かにまさる精神的な心配を親にはかけてしまいましたが、そんな自分のルールを達成するための早朝アルバイトでした。

バイトを終えたらそのまま2限からの授業に出席するため大学へ。

大学の授業が終わったら代々木に向かい、予備校へ。

予備校の授業が終わったら、1時間ほどかけて電車で海老名に帰り、家に着くのはいつも23時過ぎ。

そこからまた勉強を始めて1時、2時。

翌朝また4時に起きる。


今考えると、なんでそんな生活ができていたのか、まったくわかりません。

デビュー後に、「忙しいですね」と言われることが多くなりましたが、18歳のこのときほど忙しかったことは今まで無いので、たまに変な受け答えをしてしまいます。

加えて、とにかく孤独でした。

「仮面浪人」をしていることは在学中の大学の友達には伝えづらいものです。
「うちの大学が嫌いなのか?」と思われても無理は無いこと。大学ではかなり後までそのことを隠し続けていました。

続きはこちら http://blog.excite.co.jp/ikimono-yoshiki/8028911/

長男なりに、考えてはいるのだろう。

2012年3月16日金曜日

泣いてたまるか・・・昭和精神復興委員会2

泣いてたまるか。テレビはまるで才能の孵化機の様に、世の中に次々と面白いものを生み出していった。渥美清と山田洋次の関係もここから始まり、寅さんへ発展する。
 一話完結型で、ぼくはこの番組が好きだった。日雇いの渥美清が朝、仕事に行く時、玄関の框(かまち)に腰かけ、靴を土間に叩いて泥を落としている場面を記憶しているような気がする。そしてそれは岡林信康の「チューリップのアップリケ」の歌詞になっているような、気がするのである。

2012年3月11日日曜日

波浪注意報



妻の通知表つけも佳境に入り、家事労働削減により外食となった。子供二人をつれ、回転寿司へ。妻、長女、次男、そして僕、カウンターに一列に座り、それぞれに黙々と食べ始めた。僕と次男の前の皿がカラフルに積み上がっていく。ふと、その横、長女の方に目をやると、綺麗に色分けされ、しかも黄色と青つまり105円と135円、ささやかに重ねてある。思わず吹き出してしまった、
 僕ら世代の30歳前後の頃は、バブル絶頂で、「君は贅沢が似合う女だね」と言うことが、殺し文句と言われた。我が娘、回転寿司で105円と135円の皿を几帳面に少し積み上げ、なんとも慎ましやかである。
 堅実なのか、ひょっとして将来、君は貧乏がよく似合うと、男に食い物にされるのではなかろうかと心配になったりもする。長男の二浪が決定し、北野家族に波浪注意報、細やかな幸せは心地よい。

2012年3月8日木曜日

近頃のテレビは・・・昭和精神復興委員会1


 近頃のテレビはお粗末すぎる。考えてみたら人口的にもボリュームゾーンが高齢化し、ダウンサイジングが一般的となったのに、テレビは衛星放送など、むしろ供給側が急速に拡大した。結果、結論だけ述べればテレビが面白くなくなった。優秀な人材が担っていないのは歴然である。お笑い芸人でお茶を濁すような番組ばかり。ユーチューブで昔のテレビ番組など検索してみると、やっぱり現状の衰退感は絶望にさえ突き進んでいく。
 昭和精神復興委員会では、よき番組、知っていただきたい番組など、アップできればと思うのである。