2011年5月31日火曜日

東北支援 10 壁の立ち上げ



北海道帯広の大工さん2名が加わり、予想以上に作業は進行しました。

東北支援 ⑨ 建て方



外気温は9度、初夏にクールビズに変えつつあった僕にとっては、まだ冬に近い感じがします。昨日は暴風雨の養生が主な仕事でしたが、今日からは仮設住宅の建て方に着手します。北海道の大工さんも仲間に加わり、土曜日までに形を作り上げます。大成住宅支援隊のさばけ方を、示してきます。

2011年5月30日月曜日

東北支援 ⑧ 石巻、女川、災害の現場



駅の横に温泉があって、列車到着の30分前になると温泉に黄色いランプが点滅する、そんな事で有名だったそうである。漁師町特有の細い路地、駅や役場や福祉施設、病院などが集中し、きっとここは活気のあるいい街だったのちがいない、女川はそんな感じがする街である。ビルが横だわしになり、かろうじて形が残るビルの屋上には車が引っかかっている。内戦時代の東欧の映画に出てくる様な光景である。

2011年5月29日日曜日

東北支援 ⑦ 災害現場



災害現場を視察した。

東北支援 ⑥ 到着



20時間で到着するものと計画していたが、たっぷり24時間、丸一日の大移動であった。宿泊所は一の坊と言うホテルが用意されていた。観光客もいまのところなく、施設の被害を復旧させながら、災害復興のための施設として利用されているようで、各地から支援者が宿泊している。名勝松島を望む、趣のある旅館である。温泉も利用できるようである。
今夜はグッスリ、眠れそう・・・
今から、明日からの現場を視察する。

東北支援 ⑤ 福島着



あと100キロ、思えば遠くへきたもんだ。

東北支援 ④ 新潟へ



糸魚川、上越、柏崎と日本海沿いに北陸道を北上。急峻な山々が海岸に迫り、むしろトンネルの中を走る事が多い。ただ列島の弧に合わせるように前線が張り出しているものか、出発以来ずっと雨、そのためトンネルの方が走りやすい。左手の日本海には佐渡の島が横たうのであろうが、霧が深く見通せない。現在1240キロ、相変わらず麓親分はタフである。このままのペースで行けば全行程1650キロの半分は麓さんが受け持つのかもしれない。
iPad2とAUのWi-Fiルーターは絶好調、走りながらの投稿が出来る。エスティマも同伴の2トントラックも絶好調、快走している。新潟市が近くなり広がる田園では大方、田植えが終っている。

東北支援 ③ 北陸道へ



やっと1000キロを超えた。あと10時間程か。暗い中の走行は心細くまたバカな事をやったと後悔したが、夜も明け明るくなると元気が出てきた。人生は常に軽はずみな決断と後悔の繰り返し。

東北支援 出発 ②



大阪、710キロ、10時間 麓さん、脅威の体力、連続運転。

2011年5月28日土曜日

東北支援 ① 出発



1630キロ、頑張って行ってきます。

2011年5月25日水曜日

鼻炎が何と無く収まりつつある。

 ここ数年悩まされてきた鼻炎が何と無く収まりつつある。恐らくと狙いを付けていたアレルギーの元が、ほぼ判明した。たぶん、「ゆうかのお茶石鹸」、であろう。そんな話を一月前ごろからしていたら、新聞でもそうした報道がなされたそうで、まだ、完治ではないが、少しずつ治まりつつある。以前耳鼻科で検査した折には、杉、桧、ハウスダスト、カビなどには反応しなかったそうで、では何に反応しているのか、一つ一つ心当たりを頭の中で検証してみた。その時も多分お茶石鹸であろうと思ったのではあるが、その使用を止めたからっといって、ピタッと症状が収まるわけではなかった。それでお茶石鹸の使用を再開し、ズルズルと今まで来た。今回もお茶石鹸の使用を止めてもまだ鼻がムズムズ、目がシバシバ、とする。ただ随分と症状は低い。
  このお茶石鹸が直接アレルギーを引き起こしていると言うよりも、このお茶石鹸を使う事により鼻の粘膜や目が過敏、ナーバスになり、飛来物には何にでも過剰反応と拒絶反応を引き起こしている、そんなイメージである。まだしばらくは過敏な状況は続くだろうが、少しずつ症状は収まるだろう。夏、マスクは辛い。
  いよいよ土曜日、夕方から仙台に向かう。日曜日の夜について体調を整え、月曜から目一杯復興支援に力を振るい、土曜日、仕事を終え、仙台を発つ。日曜日の夜には戻れそうだ。

2011年5月20日金曜日

東北支援

 カナダ輸入住宅セルコホームの本部が仙台にあり、自体が大きな被害にあうと同時に、地元企業として仮設住宅の建設に取り組まなければならず、大変な状況に置かれている。パートナー企業として弊社にも応援の要請があり、オールセルコでこの仮設住宅建設に取り組むことになった。歴史的な未曾有の災害に役に立てることは幸せなことである。
 で29日から1週間、支援に行くことになった。隊長北野、大工4名、水道設備麓親子、電設1名、計8名、トラックに道具を満載し、それにエスティマ、車2台で向かうことになった。ただ「宮城県において従来の仮設住宅必要戸数:3万戸から約7,000戸減少」の報道がなされているとのことで、事態は常に流動的であるようだ。
 グーグルの地図で検索してみると、ここからだと北陸周りの方が東京周りよりも10キロ近い。潜在的に東京中心に頭も動いているのだろう。1570キロ、ヤルバイ、元気宣言!!!

2011年5月15日日曜日

引越し 一人でやりきれるか・・・



この年になるといろいろな物事を余裕を持って見る事ができる。それは客観的に見る事でもあるし、またむしろ主観的に捉えるという事でもある。つまり、客観的には悲惨であったり、深刻であるような事も、それをコンテキストの中で捉え、それまでに人生において培ってきたリテラシーを通して見れば、人生も半世紀を超えてくると、生活上に起きる問題は、人生のスパイス、味わうべき事ごととして捉える事ができるようになる。
  もう一度受験をしたい、頂点を目指したい、何と素晴らしい事であろうか。であれば中途半端に大学と掛け持ち自炊生活をしながらよりも、予備校の寮に入り徹底してやった方がいい。アパート代や買い揃えた家財などが無駄になる、また引越をしなければ、お金がかかる、いろいろと問題はある。課題解決は人生のスパイスである。
  で、家財を撤収しなければならなくなった。引越屋さんに頼むと約6万円。ふと、自分、一人で出来ないだろうか、チャレンジすべきではないか、と思った。しかし、冷蔵庫や洗濯機、大きめの家具など、どうしても一人では運べないものもある。わが子に、2時間程手伝いに来れないか、とメールをすると月曜日に試験があるけん無理、と無味乾燥の返事がきた。よし、自力で、と頭の中で作業をシミュレーションして見る。自動販売機の本体を運搬している光景が頭に浮かんだ。そう、あの運搬具があれば、と思い当たる。ナフコに行って、いろいろと店員に相談し、それがハンドローラーと言う品物で、ナフコ今宿店に在庫がある事がわかった。引っ越すアパートのすぐ近くである。運搬はこれで解決、続いてそれをどうやって軽トラックの荷台に載せ揚げる事ができるか。ずり上げる、しかない。腕力で差し上げる事は無理、品物の背中を荷台の後ろにくっつけ、背中を滑らせてずり上げるしかない。そこで品物の背中が痛まないよう、ずり上げがスムーズになるよう端材4本で「井」型の道具を作った。それを荷台に立て掛け、下の方の横棒に品物を載せかけ、ずり上げる。
  運搬も積載も比較的簡単に終了、ただ何分にも一人の仕事、養生しながらの作業であり、3時間程かかった。往復に5時間、作業が3時間、昼食を抜いてダイエットをかね、ある意味楽しく作業を行った。

2011年5月9日月曜日

連休の仕事



高所作業はこれで最後にしよう。

iPadで編集

2011年5月3日火曜日

今年の連休は・・・

今年の連休は
 久々に何もない。例年中学校のサッカーの遠征や105キロウォーキングに参加し、3日間がそれに費やされる。高2の娘はバスケ部のマネージャーで、高1の息子はサッカー部ではあるが、それぞれに応援に行く程でもない。この機会にやるべきことをやらなければならない。
  先ずはわが家のメンテナンス。木製サッシの木枠が相当に傷んでいる。防腐破水の塗料を塗らなければとかねてより思っていた。メンテナンスをしないよりはましではあろうが、それで大丈夫か心配である。
  畑の手入れもしなければならない。前に植えていたジャガイモの芽かき、それから耕し、畝を立て、とうきびを植える。草を払う。雨が降れば衣替え、夏物の背広を屋根裏から下ろさなければならない。大仕事ではないが何と無く休みの時にしかしない仕事である。
  九大生の息子はあえて茨の道を進む事を選択した。更なる受験への道である。予備校の寮へ子供を送る途中ベスト電器に寄ったらiPad2があった。早速購入、なかなかの使い勝手、仕事にも多いに活かせそうである。