2013年12月3日火曜日

師走かな・・・

  いよいよわが家の師走がスタートした。この時期になると妻の学校からの持ち帰り仕事の量が増える。朝、テストや作文などの採点や自作教材などが炬燵の上やその周りに散乱している。妻もこの時期までは気力体力は充実しているようで、それは散らかり具合からも伺えるのだが、ここに通知表が積み上がる頃に疲労がピークを迎える。朝のこの様子を見て、ふと思うことがあった。
 まず、2か月ほど前か、教職員の残業を問題にした新聞記事があった。年間相当な時間になるらしい。それを残業賃と言うものに換算するかどうかは別問題として、それが相当な時間になることはわが家でも実感している。いっそ、学校にタイムカードを置いてはどうかと思う。首都圏ではおいている学校も多いという。しかし使用実態は、出勤時に押して、退勤時には押してはならないとなっているらしい。
 司法試験改革で弁護士が増えて、同時に食えない弁護士も増えて、サラ金の過払い金請求が今や弁護士事務所の大きな収入源であるらしい。その次の収入源として弁護士事務所が狙いをつけているのが「未払い残業賃」であるらしい。サービス残業を強いられた労働者が、その会社を辞めた後請求するのである。殆ど、労働者が勝訴するらしい。いつの日か学校もそうなるのだろうかと、ふと思ったりする。うちの場合、何となく天職との思いも強い様で、「残業賃」的な感覚は無い様ではあるが、ゆとりはあったがいいなと、思う。
 思ったことの第2。綺麗な墨字を見て「板書」と言う言葉を思い出した。小学生の頃、校門を過ぎた左手に掲示黒板があって、週間や月間、学期の目標や道徳的な言葉などが絵を添えて書かれていた。とても綺麗な字であった印象が遠い記憶の向こうにある。1年生の時の担任の女性の先生も、とても綺麗な板書であった。教育委員をしているとき学校の授業を視察することがよくあった。板書がきれいな先生、そうではない先生、いろいろである。板書は綺麗であって欲しいな。この板書も教師の技能の表れで、その思い入れは見るものに伝わる。
 先生も走らねばならない、忙しい。忙しくあることの楽しさを感じつつ、頑張りましょう。
 

2013年12月2日月曜日

玉ねぎを植える

 

 去年は玉ねぎの苗を800本ほど植えた。生育の途中で病気が出たものか、相当数がいつの間にか消えていた。しかし生き残り、出来上がったものは玉の大きさと言い、重量感と言い、満足の出来で、しかも甘くとてもおいしかった。刺身や焼き魚には普通白菜やキャベツの千切りなどが添えられるが、わが家ではずっと玉ねぎをそえる。いや、むしろ玉ねぎに魚が添えられているように感じている。
 で、今年は1000本、植えることにした。どうしたら効率的に短時間で植えることができるか、考え、実践している。去年は溝を切り、苗を並べて、クワで土をかぶせる、と言う方法で、やってみた。この方法だと苗が寝た状態になり、その分間隔が広くなる。植え付け後、「何でこのよに間、開けたと」と、隣のおんちゃんから教育的指導が入る。今年はオロナミンCの瓶の口側でポンポンポンと土中に穴を開け、苗を差し込むように植えた。何となく、いい感じ。しかし中腰での作業時間が長く、足腰には相当の負担がかかるようである。痛い。
 連作にならないよう去年植えつけの場所から離し、石灰を撒き、堆肥を入れ、隣のおんちゃんからもらった海藻の切れ端のような肥料を投入し、さらに植えた後、草の押さえにも良かろうともみ殻をかぶせた。このもみ殻は近くのコイン精米からもらってきたもので、クズ米も少し混じっている。何となく栄養価も高そうな気がする。良いものができそうな気がする。今回は真面目な農民以上に真面目に取り組んだ。
 そう言えば近頃、週末農業に投入できる時間が増えた。そうか、上2人の子供が大学生になり家を出たからか、とふと気づく。来年、末の子が家を出れば、ますます時間が増える。夫婦で穏やかな時間を過ごしながら、いろいろと、やってみようと思う。

2013年10月27日日曜日

百姓とは

 言わば百の姓を持つ、という事で、色々な事が出来ないといけない。大工、土工、機械工、本業の農畜産以外に色々と出来なければならないのである。で、僕も色々と自分でやって見る。しかし専門知識がないので、なかなかうまく行かない。
 今日のまず第一の仕事はチェーンソーの始動。エンジンがかからない。この場合原因はエンジンに電気が行かないか燃料が行かないか。プラグを外して点検して見るとどうもスパークしていない。早速ハーレーでナフコに買いに行った。取り替えてやって見る。なかなかスパークしない。おかしいな、しかしこれから先の修理は迎農機に頼むしかない。そうそうOFFにしたままだった、ONにして試してみる。お、スパークするる。プラグをセッティングして何度か始動、OK、エンジン気元のいい音。
 ひょっとしてエンジンがかからない原因は単なるONOFFか。エセ百姓だから、こんな事良くあるんです。

2013年10月25日金曜日

農機具倉庫を作る②

 パイプ倉庫のキットをセットで購入した。58,000円、高くはない。作業手順書を見ると2人で組み立てるのが標準の様である。僕の自称イグノーベル賞候補の「長男の法則」に、これはぴたりと当てはまるのだが、元来、僕はこう言うのが嫌いであるし、苦手である。。男児の成長過程で訪れる「作成(プラモデル、木工、機械いじりなど)」欲求を長男から取り上げられもしくは迫害され、次男以下はこの手の作業が苦手でざ~とした取り組みしかできない。僕の場合、この手のものが来たら、まず箱を開け、中身を出し、必要物以外は全部捨てて、すっきりとさせる。我流で作業を進める、途中で詰まる、やり直す、を繰り返す、揚句に詰まる、で捨てたものの中に設計図があるはずと探す、見つける、設計図が理解できない、どうしても分からないできない場合は販売者に電話して聞く。標準以上に時間もかかる。
 で、職業柄か、また長男の影響力を受け流す年代になったためか、そうした性分が少しずつ修正され、作成の楽しみもおぼろげに分かるようになり、まずは設計書をしっかり読むようになった。作業工程をシミュレーションし、必要なものをそろえ、作業に当たっては腰ポケットにあらゆる必要道具を収納し、手際よく、そして何事も一人で完遂する様にしている。知恵を使って、一人でやり遂げるのである。複数で作業をして船頭多くして、のああだこうだ、が我慢ならない。じっくりと考えながら、一人でやるのである。
 まず縦パイプを1本打ち込む。これを基準に長方形の形になるのだが、地面平面に縦横の直角を出すのに、三平方の定理を応用する。そして左右それぞれ6本のパイプを建てるのだが、その高さを揃えなければならない。細いパイプに水を入れ、その両端の水の高さが同じになる原理で高さを合わせていく。水盛りと言うやり方である。直角も水平も本来は2人でする作業なのではあるが、知恵を使って一人でするのである。ここまでできれば後はパイプをはめるつなぐ止める作業を設計図に基づいてやればいい。天幕をかぶせるのも、一人で何とかできた。ほぼ丸一日、なかなか満足の順調な作業の流れと出来栄えになった。男としての価値が上がったような気がした。取り敢えず自宅の外屋軒先に使いにくく縦列に押し込まれていたモア2台に管理機を格納、これから大型のテーラー、キャリーが収納される。さらに収穫物が入るスペースもあるようだ。あとで大風対策に会社で余ったサイディングで防風の盾でも作ろうかと思う。



2013年10月22日火曜日

農機具倉庫を作る①

 農機具は一般的に、立体的に収納することができず、非常に嵩張る。しかも一台一台が大きい。限られたスペースに手際よく、整理整頓して格納するのだが、いざ使おうとすると、一番奥にあったりで出しずらく、手前の農機具を移動しようとしたらエンジンがかからなかったりと、何とも、農作業全体の効率さを悪くしている。折角の農機具もあまり使わなくなり、いざ使おうとすると、エンジンがかからない原因ともなる。農機具で大事なことは徹底的に、使うことである。で、使い勝手がいいように農機具を格納する倉庫を作ることにした。それは立派な倉庫である必要はなく、畑の近くで、農機具をすぐ出してすぐ使える、環境でなければならない。むしろ畑の一隅に設置すれば最も効率的である。簡易のパイプ倉庫がそれに最適である。
  一月ほど前にジャガイモを植えた。自分が所有していた種イモに加え隣のオンチャマが、同じくらいの量の別種の種芋をくれた。オンチャマはたびたび豆やその他いろいろの種や苗をくれたりする。このオンチャマには働き者の奥様の他子供、孫、果ては電設会社の従業員と重機など戦力が豊富で、一人でちまちまと趣味の農業に勤しむ僕を心配してくれる。いただく種苗は無駄にもできず、かといって僕一人で栽培し草を取り収穫することはなかなか難しく、植えはするものの、日増しに伸びる雑草に心が暗くなり、遂には草に制圧され全滅し心までが砕けてしまう。「キタノ君は熱心に植えるバッテン、あんまり収穫するとこ、見たことなかね」とオンチャマも心配してくれる。ジャガイモをもらって、植え終えた夜には、収穫をシミュレーションする。この時期、雑草には負けない、しかし、この手の地中物の収穫はきつい。スコップか、クワか、どちらにせよ大変だ、ゴボウやサツマイモよりは楽だけど。で、テーラーにスキをつけてじゃが堀をしようと、考えた。以前やった時にはテーラーのタイヤが滑って、土を鋤く事が出来なかった。タイヤを鉄車輪に変えてやってみようとしたのだが、倉庫から畑までのコンクリート道を鉄車輪で行くのに、衝撃でコンクリート舗装は割れるやら手や肩がしびれるやらで、この方法も大変だ。このテーラーはタイヤで作業することはほとんどない。常に鉄車輪を付けて、畑のそばい置いておけば、何かに使える。
 そんなこともあって、畑の横に簡易倉庫と相成った。









2013年7月31日水曜日

土用干し 溜まったままは 膝の水

江迎から松浦に向かう途中、支流があり二つの谷に分かれる。松浦に向かって左手が中尾地区、右手が深川地区となる。中尾地区に比べ深川地区はずっと奥まで谷が続き、その行き止まりの急峻な谷に水田が張り付いている。そんな作場に育てられ、概して僕の地元・深川地区の人たちは働き者が多い。その二つの支流が合流するあたりの洲の水田では、中尾地区深川地区の農民が時として隣り合って農作業をする。
 そんな時、深川地区でも名うての働き者のユーおんちゃんに中尾地区の中核的理論派農家のある人が
 「そがん働かんばなら、月夜の時に一日中働けば!」と言われたらしい。
地区の寄合などで、「こがん事言われてさ」と始まった世間話、しかし「あっちの稗(ひえ)、凄まじかよね」と、みんな、毎年の事ながら感嘆している。あの稗に覆われた水田、深川地区ではありえないことなのである。
 そんな深川地区の谷合も、そのとっかかりで共済組合組合長のおんちゃんが驚異の粘りで先端機械化農業で棚田を維持しているものの、その途中、後継者不在で、ぽつらぽつらと荒れ地が増えてきた。深川地区最下流のユーおんちゃんの田、まるで庭園のように畔の草が土用干しに合わせて刈ってある。この時期水田の水を落とし、地割れが走るくらいに干し上げる。稲の生育、収穫時期の作業効率、いろいろな面でこの土用干しの効果はてきめんである。
 ユーおんちゃんは耕耘、水溜、アラグレ、うえしろ、田植え、などなどずっと働き通し。田に水をためようと頑張ってついに膝に水が溜まってしまった。田の水は落せても、ひざの水は抜けない。僅かに片引く足が痛々しい。
 土用干し 溜まったままは 膝の水
 季語の土用干しは、衣類や書などに涼を入れる虫干しの意味で、水田の中干しの意味は無い様ではあるが。

2013年7月3日水曜日

楊梅(やまもも)

 ナツメや柿や楊梅(ヤマモモ)、子供の頃、野山を駆け巡ってそんな木の実をよく食べた。楊梅がたわわに実ると、そんな昔を懐かしく思い出す。楊梅の表面のざらざらで口が痛くなった事、夜お腹が痛くなった事、誰しもが経験したことである。
 松田九郎先生のもとで政治修行をしている時、驚くべき事は多々あったのだが、昼食のお膳に、この楊梅が小鉢に5、6個入っていて、それに醤油をかけて、これが“おかず”になって、先生はおいしそうにご飯を何杯も食べて、と言うのも驚きの一つであった。松田九郎先生以外に楊梅をおかずにする人を見た事が無い。どの地域の習慣なのか、時々気になる。
 楊梅(やまもも)を 3個頬張り5個握り
食べきれない数の実が成っていただろうに、欲張って食べていたな~

2013年7月1日月曜日

富士山を目指して①

 夕方から2時間半ほど、遠回りに白岳周辺へとウォーキングした。富士登山用の靴の足慣らし、妻が富士登山に耐えられるかの確認、そして数時間の妻との会話の練習(?)などが目的である。初心者用ガイド付き8合目山小屋付のプランを申し込んでいるので、あと2回ほど同じような訓練をすれば、頂上を極める事は出来るだろう。
 子供たちが少しずつ巣立って行く。今年はそのラストイヤーで、来春からは夫婦二人の生活が始まる。結婚21年、これを機会に共通の趣味を持ち有り余る時間を楽しく過ごす、工夫をしなければならない。世界遺産などめぐる旅もいいかな、何て話しながら歩いてみた。意外に楽しく歩けたことに人生の喜びが大きく広がったような気がした。
 「暦(こよみ)」と言うアプリがあって、24節気72候のカレンダーである。候が変わればお知らせマークがつく。今日から5日間ほどが「半夏生(はんげしょう)」となる。夏至から数えて11日目であるそうな。半夏(烏柄杓)と言う薬草が生える頃であるそうな。半夏の葉が半分白くなって、「半化粧」みたいな意味もあるような、薬草では無く「毒草が生える多湿で不純な頃」と表現されている場合も多い。この日天から毒気が降ってくる、ハンゲと言う妖怪が徘徊する等ともいわれ、不浄を行わず、淫慾を犯さず、五辛酒肉を食わぬなどの物忌みの日である。梅雨の鬱陶しさと相まって何となくおどろおどろしい感じがする。そう言えば玄侑宋久の中陰の花って小説が、そんな感じでは無かったかな~。
 そんなこんなの人生を乗越えたのか、五十路は人生の秋、たとえ過ごしにくい梅雨の今も心は秋晴れ、常に心地よい日々を過ごす事が大事である。
 携える五十路(いそじ)楽しや 半夏雨

2013年6月29日土曜日

六月の雨・・・

 ぼつらぼつらとトマトが成り出した。昔のトマトはおいしかったよね、なんてこと、良く聞く話である。確かにそんな印象は強い。確かに店で買うトマトは品行方正の優等生ではあるが味が薄いような気がする。しかし、菜園のトマトは、そこそこに、うまい。不揃いで、売り物にならないようなトマトであるが、“ちゃんとした”塩で食べると旨い。懐かしい昔の味が口の中に広がる。ヘタに“ちゃんとした”塩を着けて何回となくしゃぶる。そうか、トマトの味が薄くなっただけではんなく、塩の味もしなくなったんだな、と気付く。
 6月の終わりころに降る雨を「半夏雨」と言ったりする。二四節気で「夏至」の七二候で「半夏生」に降る雨。大雨になり、梅雨の間の水分をたっぷり含んだ土が、最後の大雨で土砂崩れを起こしたりする。梅雨の最後の大雨、最後に大雨が降らないと梅雨が明けない、そんな大雨を田舎の人は「ハゲ雨」とも言っているような気がする。半夏雨がハゲ雨に土俗化したわけではないだろうが、うっとおしい雨雲をはぎ取る雨、そんな感じで、「ハゲ雨」の表現は心地いい。たぶん、この時期、かつらを取った時の爽快感と、重なるのではないかとも思う。ちなみに僕はかつらではないが・・・
 「虎が雨」と言う表現もある。陰暦五月二八日に降る雨とある。何となく激しそうな印象であるが、曽我兄弟の仇打ちの話の、その曽我十郎の妻:虎御前の涙雨で、しくしく、しとしとである。「虎が雨」を季語とした俳句はなかなか味わい深い。「共感」があるのだと思う。
 虎が雨 昨日の事は 過去の事
 もうすぐどっちゃりとハゲ雨が降る。例年激しい雨に打たれ、跳ね返った土にまみれてトマトは全滅する。“ちゃんとした”塩を何度も何度も付けてヘタをしゃぶった、そのおいしさが、印象に残る。

2013年6月25日火曜日

六月は・・・

冷たい冬から春になり、凍りついた心も解放され、弾み、しかしやがてじめじめとした梅雨を迎える。浮ついた心が行き場のない陰に籠ったり雨に叩かれ厚い雲に押し潰されたりする。心にぽっかり空いた穴、穴と呼ぶにはあまりにもでかい。心以上にでかい穴が心に空く。空に形容できるくらいでかい、重く灰色の6月の空のようだ。
 太宰治もこんな6月に心中した。4、5、6月は統計的にも自殺者が多い。
相変わらず、僕らしい、凡庸で素直な句である。自分的には、好きだな、と自己満足する。
 そんな6月、瞬間的に富士山登山を思い立ち、PCで検索し、空きを見つけ申し込み、飛行機を手配した。実はここ4、5年、富士山に登らねばとの使命感は焦燥感にさえなりつつあった。3人の子供の最後の高3生が7月下旬から、1週間、学校の勉強合宿に行く。富士登山を今まで実現できなかった理由は多々あるのだが、長男長女が大学、次男が合宿と言う、かつてない時間の余裕ができて、その事に気づいたら、すべての予約を30分で完了した。
 これからの人生の為に、雲を突き抜けて見ようと思う。六根清浄六根清浄、唱えながら、青い空に向かっていこうと思う。

2013年5月26日日曜日

梅雨前のひと時

 ツツジを電動の  バリカンで刈り込み、次に畑で空豆の収穫。平穏な一日がすぎて行く。長男長女が大学に行き、家を離れ、やっぱり時間の余裕が出来たのだろう。例年雑草に制圧されて収穫に至らない僕の農園生活も、楽しみながら余裕を持って収穫期を迎えている。
 農業は一連の作業の中で収穫が一番疲れる。これから玉ねぎ、ジャガイモの収穫となる。腰が痛くなる。ゆっくりゆっくり、やろうと思う。iPhoneで音楽を聞きながら。
 初夏の陽気と作業に汗ばみそこに一陣の涼風、紋白蝶までがひらひらと風情を醸し、そんな時はふと仕事のアイデアも浮かんでくる。経営の差は知恵の差、知恵の差は社長の差、そう言われるのであれば、やってやろうじゃない、その差を見せてやろうじゃない、何て空豆の木陰で豆をむしりながら、マイワールドに入っている。
 さて息子を部活に送って行くか・・・

2013年4月1日月曜日

やっぱり俺はー

法政が好きで、一番合ってる大学だったんだと思う。六大学にも序列があって、東大が一番上で法政が一番下と言われる。中央や青山と交われ、何て言われる。そんな法政は実に僕に合っている。
子どもの受験でよく分かった。早慶が良いのは(偏差値が?)東大を落ちて行く大学だからである。そして早慶を落ちて立教明治法政中央青学などいわゆるその頭文字をとってMARCH群が連なる。MARCH群においてどこがどこより上だ下だと言う議論は余り賢い議論ではない。法政は間違いなくどこかを落ちて入る大学であり、どこかから駆け上がって入る大学である。でもそれは法政以外のMARCH群も同じであり、東大以外は同じである。法政はその点がよく分かっていてあえてどこより上でどこより下などの話はしない。それは「含羞」と表現できるかもしれない。他を見下し他を威圧するよう強烈な母校愛もない。しかしそこで過ごした時間や仲間を大事にししっかりとその糧を以って生きている様なOBが多いような気がする。だから活躍するOBは意外に多い。久しぶりの母校、とても綺麗になっていた。
僕が法政じゃ無かったら子供も東京の大学で学ぶことはなかっただろう。娘は妻の母校長大となった。明日が入学式。次男は高3となり来年受験、苦労では無く楽しみはまだまだ続く。



外濠の桜

息子の入学式が午前中に終わり、飛行機の出発時間までまだ相当時間がある。ふと外濠の桜をくぐり母校へ行って見たくなった。日吉から武蔵小杉で乗り換え湘南新宿ラインで新宿駅、そこで立ち喰いソバといなりをたべ、総武線に乗り市ヶ谷で降りる。スタバでカフェラテをテイクアウトして、散りゆく桜の下でベンチに腰を下ろし「北野国から」を書いている。
ー 武蔵小杉ってそんなに良かったっけー
ここには母校の付属高校と体育館やグラウンドなどの施設があり、当時渋谷から東横線に乗り換えて週に一回、体育の授業に通っていた。長男が日吉に通うという事で、この武蔵小杉に住む事になった。今回の上京では、ここを拠点に千葉や埼玉の親類にご挨拶に行ったのだが、武蔵小杉から船橋まで乗り換えなしの直通、また浦和までこれまた乗り換え無しの直通、羽田空港からも京急で品川に出てそこで乗り換えるだけ、それぞれに所要時間も相当に短くなった。武蔵小杉の便利の良さにただ、驚くばかりである。
ー東京の駅の立ち喰いソバは、どこもうまいなー
今朝、入学式に向かう時、駅のそばの松屋で朝定食を食べた。350円程。ご飯に味噌汁、漬物、卵、冷奴、海苔も付いた立派な朝食である。しかし海苔が薄い、空調の風で飛びそうになった。息子言わく、「金持ちはこう言うところ、来んよね。慶応、いっぱいよね、そがん人」。「そうね。向こうにもおらすけんね、そういう人は」、ふとM田社長の顔が浮かぶ。大野にすき家ができた頃、僕は美味しくて美味しくて、相当に、通った。飽きるまで突き進まなければ気が済まない質でもあるのだが。そんな時期のある時、M田社長は真顔で、「こんなとこで、どがん人間が食べるとやろか、まずかやろね〜、折角の食事やけんちゃんとしたとこ行けばよかとに」とのたまわった。「エッ、ヨシギューとかも行った事なかですか」、僕はあえてすき家よりも格上のヨシギューを出して牽制したのだが、M田社長は顔をしかめたままであった。
18歳で初めて上京はした時、駅の立ち喰いソバの人集りに相当な違和感を覚えた。ガツガツしてて、下品でかっこ悪い。それを食べれる様になるまで1年ぐらいかかった。何時の間にか、と言うか多分卒業して田舎に帰ってからだと思う。あれは実に美味しい、見事だ、と思うようになったのは。博多の駅などのホームにうどんがあったりする。そんなのを食べて見ても、記憶で食べ比べている、つくづくと東京の駅の立ち喰いソバは、どの店も美味しい。さっき食べたのも美味しかった。
さて母校に行ってみるか。お濠の向こうには中央大学もできている。



2013年3月29日金曜日

35年前

子供の入学式に合わせ、千葉と埼玉の親類へご挨拶に行く。埼玉は妻の叔母さん、長男長女の受験で随分とお世話になった。千葉は母親のいとこ、僕が35年前に受験でお世話になった。
18歳、僕は受験のために始めて上京した。貧乏とは言わないけど、東京の私立大学に進学するには相当の負担を強いる。受験する大学も絞り旅費も最安、まさに「遠縁の親類を頼りに」と形容されるよう心細いものであった。夜行寝台さくらで佐世保を夕方4時過ぎに出て、翌日朝11時半に東京駅に着く。千葉の西船橋の親戚にお世話になった。常に最小の費用でと言う貧乏性は、今でも心身から抜けない。今回の上京もSKYマーク、安い分神戸を経由する。非常に面倒だ。
初めての上京で電車の乗り方もよく分からない。駅によっては改札を幾つも通る。最初の改札に切符を出してしまい本来出るべき改札では切符がない。困り果て駅員に事情を説明する。何とか通してもらう。みんな優しかった、そんな印象が不思議と今も残っている。あの都会の喧騒の中での孤独感、野心と言う程までには成長していない 成り上がりたいと言う細やかな意地が、自分自身の小ささの自覚と交互に心を打つ。その鼓動が今日に至る僕のエネルギーであったように思う。だから長男が九大を辞めると言った時も、内心は歓迎した。孤独感や挫折感や、そんな中での経験が何よりも大事だと思うから。
長男は武蔵小杉に住む。そう言えば35年前、法政大学の受験もこの駅だった。


2013年3月9日土曜日

優しさに包まれたるや 春霞

 国立大学の合格発表が昨日8日行われ、長女もどうにか地元N大学に合格し、私立連敗の滑りを止める事が出来た。親子ともどもホッとしている。長男は10日の最難関T大の発表を待つ身ではあるが、すでにK大で滑りを止めている。ここ3年、僕のそして家族の大きな問題は、この受験であった。それは楽しみでもあったのだが、この受験戦争さえ潜り抜ければ「春の心はのどけからまし」である。
 今朝、いつものように出勤に合わせ子供を学校へ送る。しかし今日から次男だけ。西高に娘を降ろしていたが、今日からは佐々で高速に乗り北高直行、そして高速で佐々に戻り会社へ、となる。家を出る時、子供が車に乗り込む時、車の中で、あっという間に北高に着き、会社に着いた時、その時その時に言いようのない大きな開放感が、体の芯から湧いてきた。おぼろに霞み、高速からは棚引く様も見る事が出来た。春霞、このモヤッとした感じは気分次第では、見通しの悪さ、何となくのすっきりとしないウェット感、を引き起こすのかも知れないが、今日は優しさに包まれたような感じである。棚霞は天女の微笑みにさえ見えた。
 優しさに包まれたるや 春霞
 さて長女改造計画、当初の計画は東京のT女に入れて、寮に入れて、合気道部に入れて、留学をして、と言う事でコミュニケーション能力と体幹・体力を鍛える事、改造する事を目指した。T女に関しては模試のたびごとにA判定であり、まさか落ちるとも思っていなかったのだが、その落ちた原因は僕がひそかに娘改造計画の必要性を感じた事と同じ根っこなのである。要するに田舎者は物おじする。特に優秀であればあるほど、田舎の優等生は都会や異質なものに対して、臆するのである。むしろオオチャクモン、不良、の方が生きる力が強い。N大学経済学部で学び、経済学原論、ケインジアンやマネタリスト、シュンペーターにドラッガー、成績表にA判定が並ぶ。自信満々に就活に入る。しかしどうしても面接で落ちる、しかも最終面接の前の前の前位の面接で落ちる。え、何で、と当惑する、こんなに成績がいいのに。しかし僕にはわかる。こんな22歳程度の小娘にドラッガー何ぞ聞く事も必要もない。そんなAの数何ぞ、会社の戦力にならん、そんな会社幹部のつぶやきが聞こえるのである。想定外の会社に入り、新入社員歓迎会でバカをやる事も無く、そこそこに仕事をこなすのだが、処理的な仕事はできても、創意的な仕事はできない。少しずつ存在が霞む。えっ、あの子N大経済学部、けっこう名門よ、と周りはつぶやくようななる。そんな何年後かの会話が、僕にはリアルに聞こえる。
 で、来週福岡のミッション系のS大学の合格発表がある。長崎では近すぎる、せめて福岡ぐらいの距離と都会的な猥雑性の中で生活し、友達が一人もいない中での友達づくり、つまり孤独感を経験する事が必要である。N大学は近すぎる、それに合気道部がない。そこで福岡のS大に合格すれば、そこの合気道部へ行くように勧めようと思うのである。畳に投げられ、関節を絞められ、打たれる。精神的打たれ強さは、肉体的鍛錬によって涵養されるのである。そして凛としたたたずまいを身につけて留学をする。武道の素養のある女性は留学先でも存在感があり・・・・・・・・・・
 と言う事で僕の妄想はN大学コースS大学コースに分かれ、リアルに進行している。その内、続きを書きます・・・       To be continued

2013年2月23日土曜日

順調に乗り換えて

 長男は、中央大学法学部ともう一つ、立教の経済もセンター利用で受験していたようである。早慶の発表の前に中央は入学手続きの締め切りが来るので、順調にいけば、中央大学に入学金を納め、それを捨てて早慶のどちらかに入学金を納めて、それを捨てて、東大に入る事になる。たまたま立教も受けていたので、中央の締め切りが、立教の発表となり、立教の締切日は早稲田の発表日、その前に慶応の発表、という日程になる。
 長男にどうするか、どうしたいか、話し合ったところ、東大早慶でなければ中央も立教も、どうでもいい、との事であった。そこで、中央→立教→早慶と、素早く乗り換え、入学金25万円ほど、節約する事となった。立教のセンター試験も合格し、いよいよ、今日、慶応理工の発表となった。
 合格、おかげさまの合格。分厚かった東大早慶の牙城の一角を崩し、いよいよ週明け月曜から頂上決戦となる。
 対して長女の方は振るわない。センターの不出来ショックからなかなか立ち直れず自信喪失気味である。模試でずっとA判定を取っていたT女もダメ、当然C判定のRもダメ、最終ディフェンスライン、ランクを下げてのチャレンジである地元国立に月曜日臨む事となる。さてどうなる事か・・・
 浪人もいいな、と思う。長男はやはり2浪しなければ自分がどういう方向に進むか、その志、そして家族や周りへの感謝の心が、学力よりも何よりも最も大事なそれらに、気付かなかったのである。この数カ月、学力よりも何よりも、それらが、伝わるようになった。そもそもその領域の学力なんて、僕に分かるはずもなく、僕はただ、学力よりも何よりも、志と感謝の心、その事をずっと見ていた。長男は間違いなくその部分が成長していた。長女も然りと思う。当然、大学生になって進むべき道を探すのもいい。そしてまた受験失敗→浪人と言う屈辱の中で自分を見つめるのもいい。幾度かの辛酸を経て志はじめて堅し、とも言う。そう考えれば長女はまだ、時間がたっぷりとある。

2013年2月9日土曜日

中央大学法学部の理念と打算

 簡単に九大に入った長男は簡単に九大を止め、浪人すればそれなりの努力で東大に入れるだろうと考えていたようで、まして、早慶など、落ちるわけがない、などとほざいていた。東大早慶の全落ちは相当に応えたようであった。いよいよ入試のシーズンを迎え、強気と弱気、高揚感と挫折感が周期的に入れ替わり、自らが選択した道とは言え、プレッシャーも相当なものであるようだ。3浪は有り得ない、それは経済的にも時間的にもそして精神的にもである。それを避けるために、今回は周到に準備をしなければならない。漸進:匍匐(ほふく)前進、である。少しずつ前に、橋頭堡を築いて、少しずつ前に。
 理想は、センター試験に圧倒的に勝利し、早稲田の文系センター利用を一つ確保することである。慶応はセンター利用入試の制度はなく、早稲田も理系にその制度はない。ただ私立の他大学と違ってセンター試験の翌日に願書提出ができる。しかし国語で思うように点数が伸びなかった長男は、早稲田のセンター利用を諦める事になった。早慶並みで他を探すとなれば中央大学の法学部、である。センター試験前に中央の法学部を出し、センター後に早稲田の学部を選んで、と目論んだのだが、結局、センター利用は中央大学だけとなった。
 早慶の理工もなかなかハードで、加えて東大理1となると、3浪の危険率は高まり、マインドが委縮し十分な力が発揮できないかもしれない。東大早慶の前に何としても安心材料が必要である。中央大学法学部、司法試験合格者で東大と激しくしのぎを削る名門大学、さすがに名門を維持し続ける確固たる戦略があるようだ。
 何とセンター利用で選ばれるにあたり、文系の法学部であるにもかかわらず、長男の場合、英語(200点)、国語(100点)、数学(100点)、物理(100点)、化学(100点)の選択(計600点満点)ができるのである。あえて社会科科目を入れる必要はない。早稲田のセンター利用と大きく科目が違う。長男の場合このチョイスならば9割近くの得点となる。かくして、合格となる。中央大学は理系文系問わず、難関国公立大学におしくも漏れた優秀な人材の受け皿となるとの作戦であるらしい。難関司法試験を勝ち抜くにあたっては、主に3科目の限られた入試の私立大学型秀才よりも幅広く科目を課せられる国立大学型の人材の方が対応力があり、さらに人間性が謙虚でまじめとの考えによるとの説もある。
 さらに入学手続きの締め切りが早慶の合格発表の前、また一般的には取り敢えず入学金だけを納めればよいものが中央大学の場合は半期の授業料も納めなければならない。当然入学しない場合は授業料は返ってくるのだが、難関国立大を第一志望とし、さして早慶ブランド信者でなければ、司法試験の実績の上からでも、中央大学を選ぶであろう。
 長男の場合理系であり、希望としては東大理1、慶応理工、早稲田理工となるのだが、ここで中央の法学部を決めた事は、精神的には大きな一歩である。どうにか3浪は免れた様である。

2013年2月1日金曜日

九大と東大と東工大と・・・③

 九州では九大が圧倒的かつ抜きん出た存在である。それでは東大が東京で或いは日本で圧倒的に抜きん出た地位にあるかと言えば決してそうではないようである。ちなみに理化学系のノーベル賞においては京都大学が圧倒的に多い。医学では慶応大学なども独特の存在感があり、文学ではノーベル賞候補村上春樹は早稲田、東大のトップクラスは圧倒的に天才ではあるようだが、その他の部分は正確なヒエラルキーでは無く重層構造であるようだ。ただしこうした東大でもトップに君臨できないと言う事は、もともと優秀な東大生がさらに日頃努力をしなければならないと言う事であるから、当然、この階層は進むべき方向に住み分けながら、不断に努力し能力が向上するのだろう。得てして批判される日本の教育制度、大学制度ではあるが、垣間見ると、そこそこじゃん、とも思う。で、やはり東京が刺激は多いと思う。で、子供たちにもその刺激を日々に得られる環境におきたいと思う。東大の様なトップクラスの階層では無くても、娘も然りである。
 長男は東大を受験することを決めた。長女は某女子大とその上のクラスの有力私大国際系、にチャレンジする。某女子大にはこれまでの色々な模試でA判定も出ており安心していたのだが、センター試験の不調とそれをもとにした高校の面談で、一機にマインドが萎え、恐る恐るの日々をこれから過ごすことになる。長女がこれから社会に出る、その前の訓練期間としての大学生活では対人力、コミュニケーション能力、若干の専門知識とそれを表現する語学力を鍛えなければならない。人格をズタズタにして新しく組みなおす位の事が必要で、日々の良い刺激が要る。今のままでただ大学の学問的知識が増えても、経営者的な目から見ればあまり欲しくない人材である。その環境に置くか、4年後に就職で苦労するか、自明である。今より良い環境を目指す、と言う事で長女も従来方針通り、明日から上京し、入試に臨む。一年を雌伏してでもそう進むのである。
 センター試験の難化は18歳の少年少女の心をかきむしり、各家庭で色々なドラマが繰り広げられているようである。親と子の意見の対立もあるだろう。でもこれって、楽しい事なんだ、と思えるかどうか、まずはここが分かれ道の様な気がする。

2013年1月29日火曜日

九大と東大と東工大と・・・②

 センター試験が終わった。全体的に国語と数1が例年以上に難しかったようである。長男も長女も国語はそこそこ、数学は長男は理系であり、長女は文系の割には得意科目、である。長男は国語で予定に40点足らず(200点満点)、長女は全国平均をちょっと上回った程度である。数学は長男はなんとかこらえたものの、長女は国語並みの落ち込みで、センター試験が終わった瞬間、両人とも全てが終わったような感じではなかったろうかと思う。長男はセンター2日目が終わった夜、すでに大学生となっている友達と夜、食事をし、東大から東工大への進路変更を決めたようであった。
 翌日、長男と電話で話し合った。
「東工にする」、と長男。
「そうか、分かった、そっちが良いかもね」と答え、
「ただね、もうちょっと待って、今年ものすごく平均が低いらしい。で、去年足切りが770点やったけん、その換算で800超えるのを目安にしてたけど、今年の足切りから3、40点超えてたら、東大受ける」
「そうか、でも早めに方針決めて対策せんと間に合わんやろ」
「そうけどさ、ただね、今東大の数学でさえちょっと詰まり気味とに、今から東工の数学に対応できるかって問題もあるし」、との事であった。
 日本の大学制度は、東大を頂点に正確な偏差値の階段が刻まれているものと思っていたが、どうやらそうではないらしい。このクラスの大学では偏差値による大学のランク付けはむしろ必要ないようである。それなりの特徴があり、入試と言う学生選抜においても、その特徴に合う学生を選ぶと言う事が徹底しているようである。俗に日本のエリートは「東京一工」と言うらしい。東大京大一橋東工の4大学である。東大のトップクラスは別として、その世界では東大生なら京都、一橋、東工を受ければ受かる、ものではないようである。その大学を目指し、そのための準備をしなければ受からない。センターで点が足らずに東大から降りてきても、ほとんど受からない、そうである。そもそも「降りてくる」ものではないのである。長男の場合、一浪の頃から東工大は常にA判定が出ていた。東大には出ない。しかしここで東工大に進路を変えてA判定だから通りやすいと言うのは、当事者以外、しかもその世界を体験していない者の意見でしかないようである。
 東大はセンター試験900点満点を110点満点に圧縮し、それを持ち点にして、二次試験では理系の場合英語、数学、理科が120点、国語が80点、合計550点満点となる。東工大はセンターで600点を超えれば受験できる。センターはただそれだけのことで、2次試験だけの評価となる。数学300点、理科300点、英語150点の750点満点。その試験時間たるや数学で180分、理科は例えば物理・化学で120分120分の計240分。日本で一番長時間の過酷な試験とも言われているようだ。東大と東工大、どんな学生に来てほしいのか、この入試の仕組みを見ると、なるほどと理解できる。
 さて、どうするか・・・
 

2013年1月26日土曜日

九大と東大と東工大と・・・①

 2年前、長男が九大に合格した。本人には意に沿わない大学なのではあるが、しかし名門である。センター利用で明治の工学部には合格していたが、九大とは比べようがない。早慶に落ち、九大に行く事になったのである。入学に際し福岡での一人暮らしの家財道具を買うために、付近のナフコなどを回った。
「大学に入って、一人暮らしですか、えっ、九大ですか」とレジのおばちゃんまでが、長男のチャライ風貌と見比べ、驚く。それほどまでに長男がチャライのでは無く、福岡、或いは九州においての九大ブランドは圧倒的なのである。その事を実感した。その九大を、5月の連休を前に、辞めると言いだした。辞めるのは止めろ、と説得はしたのだが、本人の意思は固い。しかし実は、自分自身、それでも良いという思いがあった。この長男の何の苦労もしていないわがままな性格に、田舎の優等生のプライドを加えたら、将来どうなるのかな、まさに危惧である。全国レベルどころかこれからは海外さえも普通の仕事場である。そんな将来を見つめれば、今あえて苦労を選ぶのであれば、それも良し、と思ったのである。
 浪人1年目、東大のセンター試験足切りはかろうじてクリアしたものの合格ならず、また早慶もダメ、想定外の2浪生活に入った。初めての挫折のようであった。その後今日に至るまで気の緩み、ダレ、マンネリ、12月を過ぎたころからの不安感、焦燥感、危機感、そして恐怖心、それらが重くのしかかっていたようである。ただ親の目にはその経験が、長男を少しずつ大きくさせている事を見る事も出来た。この長男には九大もダメ、それを止めてすぐに東大・早慶に入るのもダメ、今のようにプレッシャーに押しつぶされそうになり、さらにそれを克服する事こそが是非とも必要であったようである。
 センター試験が終わった。800点取れなかったら東大から東工大へ進路変更、を長男と決めた。浪人1年目は、東工大に行くくらいなら早慶に行く、と平然と言っていた。僕もそうね管直人が出たとこなんて止めとけ、と言ってはいた。しかし東工大についてホームページで調べてみるとなかなか優秀な大学である。教育環境、学費、早慶とは比較にならない。長男も成長しそれまでの表層的な大学ブランドからの視点から解放されたようである。大学に入れば例えば海外留学も普通にあるだろう。親の経済的な負担や教育環境、どう自分が伸びていくのか、そうした事を考える事が出来るようになったようである。一般的には普通の事のようではあるが。
 東大と東工大の話へと・・・続く。

2013年1月7日月曜日

去年今年 貫く螺旋の如きもの

 原文は「去年今年(こぞことし) 貫く棒の如きのも」(高浜虚子)である。解釈は読む人それぞれである。新年とか旧年とか、何となく正月になると改まるのだが、単に昨日と今日にすぎない、何も変わらない、と言ってるように僕には思える。「棒」と言う字から、何の変哲もなく、昨日と今日の違いだけじゃん、新年を大仰に取り扱わなくてもいいじゃん、そんな感じで受け止められる。しかしまた「棒」と言う文字から「心棒」を連想し、大事なのは日頃の心の中のぶれない基本、じゃないの、何が新年の決意なのよ、と言ってるようにも聞こえる。
 長男が大学1年生から浪人1年生となり、浪人2年生として新年を迎えた。足踏み状態である。しかし長女は高校2年生から3年生へ二男は1年生から2年生へ進級した。今年は予定では大学生が二人になり高3の受験生が一人になる。トップランナーが停滞すると何となく全体が足踏みしているように感じる。しかしみんな成長している。
 去年と今年、何の変哲もなく繰り返しているようであるが、少しずつ成長している。螺旋の様なものに突き抜かれ、或いは螺旋構造の時間軸の中で、時に気付かないほどに緩やかな坂道だけど、登っている、成長している、のである。

仕事では、ここ数年かけて輸入住宅とリフォーム分野を育ててきた。この取組みの延長、螺旋構造を一段上り、輸入住宅では土地建物2000万円未満の建売住宅をメープルタウンとして街並みともどもに売って行こうと思う。リフォームでは同様な価格帯でリノベーションハウスとして、民家再生し街中の活性化の事例提供としたい。江迎で再生中の民家は頑丈にできていて、味のある小屋組みがあり、その部分を見出しでするようにしている。
 生活面ではハーレーの安全運転とそれっぽくメカの話ができるようになる事、サックスはジャズとビートルズナンバー。ゴルフは2回に1回は90を切る。
 1月12日に累積点数5点が戻る。19、20日がセンター試験、2月は私立の試験と発表、下旬に国立、3月入学手続き、家探し、4月入学式、忙し忙し・・・