2013年6月29日土曜日

六月の雨・・・

 ぼつらぼつらとトマトが成り出した。昔のトマトはおいしかったよね、なんてこと、良く聞く話である。確かにそんな印象は強い。確かに店で買うトマトは品行方正の優等生ではあるが味が薄いような気がする。しかし、菜園のトマトは、そこそこに、うまい。不揃いで、売り物にならないようなトマトであるが、“ちゃんとした”塩で食べると旨い。懐かしい昔の味が口の中に広がる。ヘタに“ちゃんとした”塩を着けて何回となくしゃぶる。そうか、トマトの味が薄くなっただけではんなく、塩の味もしなくなったんだな、と気付く。
 6月の終わりころに降る雨を「半夏雨」と言ったりする。二四節気で「夏至」の七二候で「半夏生」に降る雨。大雨になり、梅雨の間の水分をたっぷり含んだ土が、最後の大雨で土砂崩れを起こしたりする。梅雨の最後の大雨、最後に大雨が降らないと梅雨が明けない、そんな大雨を田舎の人は「ハゲ雨」とも言っているような気がする。半夏雨がハゲ雨に土俗化したわけではないだろうが、うっとおしい雨雲をはぎ取る雨、そんな感じで、「ハゲ雨」の表現は心地いい。たぶん、この時期、かつらを取った時の爽快感と、重なるのではないかとも思う。ちなみに僕はかつらではないが・・・
 「虎が雨」と言う表現もある。陰暦五月二八日に降る雨とある。何となく激しそうな印象であるが、曽我兄弟の仇打ちの話の、その曽我十郎の妻:虎御前の涙雨で、しくしく、しとしとである。「虎が雨」を季語とした俳句はなかなか味わい深い。「共感」があるのだと思う。
 虎が雨 昨日の事は 過去の事
 もうすぐどっちゃりとハゲ雨が降る。例年激しい雨に打たれ、跳ね返った土にまみれてトマトは全滅する。“ちゃんとした”塩を何度も何度も付けてヘタをしゃぶった、そのおいしさが、印象に残る。

2013年6月25日火曜日

六月は・・・

冷たい冬から春になり、凍りついた心も解放され、弾み、しかしやがてじめじめとした梅雨を迎える。浮ついた心が行き場のない陰に籠ったり雨に叩かれ厚い雲に押し潰されたりする。心にぽっかり空いた穴、穴と呼ぶにはあまりにもでかい。心以上にでかい穴が心に空く。空に形容できるくらいでかい、重く灰色の6月の空のようだ。
 太宰治もこんな6月に心中した。4、5、6月は統計的にも自殺者が多い。
相変わらず、僕らしい、凡庸で素直な句である。自分的には、好きだな、と自己満足する。
 そんな6月、瞬間的に富士山登山を思い立ち、PCで検索し、空きを見つけ申し込み、飛行機を手配した。実はここ4、5年、富士山に登らねばとの使命感は焦燥感にさえなりつつあった。3人の子供の最後の高3生が7月下旬から、1週間、学校の勉強合宿に行く。富士登山を今まで実現できなかった理由は多々あるのだが、長男長女が大学、次男が合宿と言う、かつてない時間の余裕ができて、その事に気づいたら、すべての予約を30分で完了した。
 これからの人生の為に、雲を突き抜けて見ようと思う。六根清浄六根清浄、唱えながら、青い空に向かっていこうと思う。