2014年11月25日火曜日

娘は・・・・

 何となく長大経済学部に進んだ。これと言って将来像が決まっているわけではない。母親の仕事を見て、教員にはならないという。公務員は、いや、と言う。付きたい職業は明確ではないのに、いや、は明確である。
 どこかコミ少(コミュニケーション能力が少ない)な娘で、大学でうまくやっていけるか、友達ができるか、非常に心配であった。合気道部に入って体の芯を鍛えろ、は、いや、と明確に拒否された。チアはどうか、と言ったら、紆余曲折を経ながら、2年生になった今も続いている。
 商社やメーカーに就職して、輸出や海外事業の開拓スタッフや後方支援のような仕事はどうか、と今、将来イメージを折に触れ刷り込んでいる。
 で、そこに就職して、配属された部で、何百億何千億の商談やプロジェクトが成約し、その担当部内が沸き立った時、お前は机の下からポンポンを出して、飛べ、お前はその部のチアになれ、と刷り込んでいる。娘は「フン!」としか言わない。
 長大祭で演技をするという事で見に行った。溌剌と、一生懸命やっている。安心した、次第である。

2014年11月12日水曜日

紅葉散る 天下の景勝 庭の先

 玄関の先、家を出る時に目にする風景、広葉樹が日々色づく。年年歳歳花相似たり、の言葉もあるが、木々の紅葉もまた相似たり、そして人同じからずである。去年は末っ子の受験が佳境に入るにつれ木々が紅葉し散っていった。寒さも増して行き霜が立つようになり、緊張感が増して行った。今年は来年の統一選に向けて、日々の移ろいを感じている。同志の助けを得ながら、後援会の整備も進む。ありがたく、少し、季節を風景を愛でる余裕もできたかも。

2014年11月7日金曜日

たどり着いた俺流システム手帳

何十年来の電子機器派である。ザウルスも何台となく代を重ね使い続け、携帯も徹底して使いこなしスケジュール管理はもとより音楽も千曲ほどは収まり、ブログの編集投稿なども携帯一台で完結していた。スマホになりタブレットになり、進化する機器をどこまで活用できるかと言うのは、趣味以上に、大げさに言えばある意味生き方の一つのテーマであるような気もする。
 デジタル機器は記録を大量に残すことが出来る。写真などがその典型であるのだが、意外にその典型の写真以外は、瞬時に流れていくような気がする。紙の記録の様にはフィードバックできない。iPadをシステム手帳として活用できないか、随分と研究した。手書きノートアプリを組み込んでやってみたが、タブレット画面への書き心地が悪い。簡単な物からブルーツース方式の高価なペンも試してみた。書き心地もさることながら、何となく煩わしい。おそらく書き込んでも振り返って見ることはない。ただ単に、そこに記録しただけで、記録した内容は記録した事実と共に忘れ去る。しばらくしてそのアプリ自体を使わなくなる。
 システム手帳を復活した。仕事以外にも時事問題をはじめ懸案事項整理など、整理して書き込むのは、記事やホームページをクリップしてスマホのエバーノートに保存するのと違って、何となく頭に整理されるような気がする。しかしそうなると少しずつページ数が増えて無秩序状態になったり、あるいは紙が破れたりしてくる。で、シャープの電子ノートに出合った。実に簡単なノート代わりだけの代物で、ただ1000ページほどの記録容量があり、フル充電すれば1月くらいは充電の必要なく利用できる。画面への書き心地も悪くはない。
 スーツの内ポケットのペンは、後ろにタブレット用のクッションがついた3色ペンの一色をスタイラスペンに入れ替えたもの。iPhone5S、iPad(もしくはiPadミニ)、手帳、自宅と会社にPC、そんなスタイルはiPhone6(プラス)、電子ノート組み込みシステム手帳、ウルトラブック(ノートPCの一種)で完結しそうな感じ、場所を変え、気分を変えながら、瞬間瞬間に処理できる。行きついた先はデジタル的アナログであった。