2014年9月7日日曜日

所謂情報リテラシー

  最近地方議員の劣化が激しい、と言われる。情けない報道も実際多い。僕なりに、次のように思う。かつて日本経済は右肩上がりに発展し、同様に年々税収が伸びた。政治はその潤沢な税収に支えられた予算をどう配分するかが第一の仕事となった。各団体はその分配の場、即ち行政に政治と言う手段で介入するようになった。団体→政治家→行政→団体→政治家----と輪環する構造が出来上がった。その中の政治に求められる人物像は強面で押しが強く、選挙に強く、当選回数を重ねられる事である。選挙に強い、と言う事は団体と強く結びつくと言うことでもある。これが昭和の政治家のイメージである。
  この団体-政治-行政と言う構造は利権構造とも呼ばれ批判される様になった。経済的な背景には成長の鈍化と税収不足がある。強面の政治家もぶん取る予算が少なくなれば、そのふんぞり返る姿は傲慢にのみ見える様になり、その対極の政治家が人気を集める。つまり多選より新人、強面より笑顔、経験より素人っぽさなどなど。しかしそんな人はどちらかと言うと選挙は風まかせ、パフォーマンスが得意で、各してマドンナ選挙に始まりチルドレン選挙、集大成として民主党の政権奪取とその崩壊となり、菅元総理は訓練されていない政治家がトップに立つと国が如何に乱れるかということを如実に表現した。
  さて、これからどんな政治家が求められるのだろうか。またその時代背景はどのようなものなのだろうか。時代背景は別の機会に述べるとして、求められる政治家、まずは本人がどの様な経歴でどのような能力と信用を培って来たのか、この事が吟味されるようになると思う。それをベースとして何を志向し何ができるのかを有権者に理解して頂く事が大事だと思う。
  それをどうやって有権者の方々に理解して頂くか、これが最大の難問である。前回総選挙頃より選挙のネット利用が進められているが、スマホがこれだけ普及してくれば、ネット活用は政治家入門の必須科目ではなかろうかと思う。所謂情報リテラシー、である。自分自身を伝えるツール、例えばネット、それをどれだけ使いこなせるかが重要に成りそれと同時に伝える情報の中身、さらにその主体の人間そのももの価値が比較されるようになる。
  PRビデオの様なものを作成し、ネットにアップする、沢山の方々に見て頂く、お金はかからない。これが沢山の方々に伝われば、選挙の度ごとに登場人物の人物像が確りと分かる様になり、まさにエントリーシートになると思うのである。

2014年9月1日月曜日

踊る阿呆

 地元から出られている方の引退や日頃仲良くお付き合いをさせていただいている吉村さんの県議への転身を受けて、今年3月頃より、時にお勧めを頂き、時に叱咤され、時に懇請を受けて参りました。自分史においては末っ子が大学進学で家を離れ夫婦だけの生活になったこと、親父の葬式をしたことなど、大きな節目を通過しました。来し方を思い遣り、時の移ろいの中で、肩に力を入れることも無く静かに考えました。
 ここ数年使っている名刺の裏の自己紹介プロフィールに「選挙、もう出ないの?と問われれば、出ないことも無いと思いますが、人生の課題としての優先順位は今のところ高くないですねと答える」、と書いていました。会社の経営や子育てなどを最優先の課題として務めて来たここ10余年でありました。
 早16年。39歳のおり県議選に挑戦しました。使命感と情熱に燃え、行動力に溢れていました。政治と言う目標、30代で勝負をかけると言う誓い、だからこそ事業を興し、経済的基盤を作ることが出来ました。その時僕は、自分自身との約束を果たさなければならないという事が第一で、勝敗は二の次であったようにも思います。選挙には負けたものの、自分自身との約束はしっかりと守ることが出来、このことがその後の自分自身の生きる力を培ったようにも思います。おかげさまでの今日であります。
 僕の体の中には「政治」と言う通奏低音が常に低くしっかりとしたリズムを刻んでいます。それ以来選挙には出ていませんが、選挙に出る事、議員になる事だけが政治の表現では無く、経済活動で地域を支えることも、しっかりと子育てをすることも、内に秘めたる政治理念の表現として捉えて来ました。「政治」は僕に試練以上に学びや出会いを与えてくれました。子供が自立し、会社も事業継承が課題になるこれから、ここまでやることが出来た、やらせてもらった地域に対し「政治」でその恩返しの活動ができるとすれば、それはとてもありがたいことだと、心が落ち着きました。地域は今後ますます限界化します。農村も中心街区もともにです。地元の意見を代弁する人がいなくなると言う事を、その地域の一員として何としても克服する責務があります。それが使命であるとすれば全力で受け止めようと思います。
  江迎町が一番元気になる千灯籠が終わりました。祭って良いな、とつくづくと思います。太鼓が響きお囃子が鳴れば踊る阿呆も必要でしょう。マツリゴトには踊る阿呆が必要です。
  踊らせて頂こうと思うに至りました。追々、主張を述べさせていただきます。