2012年8月31日金曜日

街中活性化・・・

 若い頃から村おこし・町おこしの活動をずっとやってきた。祭りをやったり講演会や討論会をやったり。とりあえず40歳でJCが終わり、その後YEG、法人会青年部などが終わる。そんな頃から本業の経済活動、日常活動で、地域の活性化に資する事が出来ないか、常に脳裡に引っかかっていた。
 もちろん家を造る事、宅地を分譲し一団の集落を作る事、これも大変な地域活性化である。これはこれとして、あと一チャレンジしたい、何かをしたい、そんな渇望があった。
 それが形になりそうな感じになってきた。江迎の街中は商店街になっている。この商店街はかつて県北においては4か町商店街に次ぐ販売高があったそうである。要するに現在の佐々町以上の活力があった。一般的に土地建物の実勢売買価格は、固定資産税評価額以上である。発展著しい場合は数倍である事も多い。江迎の商店街では固定資産税評価額の方が高い。
 その一角、敷地面積40坪、建物床面積57坪の物件を今日、購入した。この商店街はどこもこの程度の内容である。かつてこの地区の土地は坪単価30万円以上で取引されたらしい。今、どの程度なら売れるのか、買う人がいるのか、この商店街には不動産屋の張り紙がしてある建物がいくつもある。何年も経過したようなはげかけた古びた張り紙は、価格が簡単には折り合わないことを示しているのだろう。
 例えばこの建物を解体して更地にする。解体費用はざっと400万円、400万円で購入し、400万円で解体し更地にすると、原価で坪20万円、800万の土地となる。商売が成立しない。購入費用はできるだけ安くすると同時に、解体費を下げる、解体しない、事からプランをスタートする。
 車2台のインナーガレージ、4LDKのお洒落な建物に劇的変身を遂げさせようと思っている。街中の狭小建物を民家再生し、2000万円前後の価格を設定し、20代30代に販売したい。もはや商店街の再生と言うのは後継者の問題を含めて無理に等しく、せめて街中の人口を増やす、子供がいる、そんな地域にする事が第一である。その事例、モデルを作りたい。

2012年8月16日木曜日

我慢比べ 負けて盆前 大掃除


 キュウリが成長期を迎えつつある。どんどんとできる。会社のみんなに分ける。それでもあまる。以前、大根が取れすぎた時にナフコで漬物用器を買って、一夜漬けに挑戦した事がある。その時の反省を踏まえ、工夫し、キュウリの塩漬けをしてみた。塩加減、が難しい。初心者の常として、入れすぎる。用器いっぱいに入れたキュウリも、何時間かすぎるとキュウリ自体から抜け出た水分に浸され、半分くらいの嵩になっている。ちょっと取り出して食べてみた。やはり塩が効きすぎているようだ。
 今回の工夫の第一は、コバエ対策。前回の挑戦ではコバエがたかり、中まで侵入し、食べる気が失せてしまい、すべて廃棄した。そこで今回、大きな袋で覆い、コバエの進入をシャットアウト、功を奏し、清潔な漬物となった。少々辛ら目、でもまあまあ、程よい酒の肴となった。

 わが家では、基本的に、掃除は、僕が担うべき大事な家事である。いつしかそうなった。散らかるに任せ、汚れるに任せ、我慢比べの様に日々を過ごすのだが、遂に耐えきれず、僕が、掃除を始める。わが家は住宅メーカーの社長宅と言う事もあり、当社の主力商品である自然素材の家づくりをしている。床材は厚み3センチの松の無垢材である。弊社展示場でも使っている。ご来場のお客様には、どうぞそのまま、素足でおあがり下さい、無垢材のやさしさをご体感下さい、とお勧めする。であるから、当然僕も家ではスリッパを履かない。しかし、妻と娘はスリッパをはいている。無頓着な息子と素足にこだわる僕が、素足である。無垢材の心地よさを知っている僕のこの素足が、ざらざらやヌルヌルに耐えかねて、掃除を始めるのである。盆正月前の掃除は特に大変で、掃除機をかけ、そのあと拭き上げるまで、たっぷりと一日かかる。
 掃除道具にも随分とお金をかけた。初期のロボット掃除機の廉価版の様なものも買った。充電式のハンディー掃除機も買った。使い物にならない。使わないと動かなくなった。ルンバを、買おうかなとも思う。しかしじっくりと考えてみると、ルンバが自由に動ける、掃除できる日が年に何回わが家にあるだろうか、となる。結局、ルンバに思いっきり能力を発揮させるための、掃除をしなければならないので、綺麗に片づけをして、掃除をして、綺麗になった後でしか、ルンバを動かせないという自己撞着に陥るのである。
 いや、掃除は僕の役目なんです。そう開き直れば、食後の皿洗いをしない事も、気後れしない。ここ数日、素足が気持ちいい。しかし娘と妻は、そんなここ数日も、スリッパをはいている。あえて、この感激を知ろうとしていないようである。

2012年8月8日水曜日

夕涼をめがけて棚田の草払い

 愛犬の散歩コースで見るような、日々の何気ない風景に時としてドキッとするような美しさを感じる事がある。
 梅雨の間は豪雨から畔を守るために、ある程度雑草を生やしておく。梅雨が明けると虫や病気の発生を抑えるために畔の草を刈り風通しを良くする。「今日はくるきりせんば」などと昔の人はよく言っていた。「くるきり」はたぶん「繰る切」で、「繰る」は長いものを引いて手元に寄せる、たぐるの意味で、長くなった草を手繰り寄せながら手際よく鎌で切ることの意味であるのだろう。
 昔農村では働き者のオバシャンが、朝露のした朝草の繰る切りをして、それが牛のえさとなり、イネなどへの好効果となり、美しい農村風景をを作っていた。今では農村に嫁ぎ、そんな働き者のオバシャンになる人などいない。農村青年がやっと50を過ぎたころから「魂が入ってきて」、親からの指示を待つまでもなく、自主的に草を刈るようになる。勤めが終わった夕方、ちょうど涼しくなった頃でもある。「夕涼(ゆうすず)である。
 この時間帯、あちこちで草刈り機の音、薬をまくミスト機の音が谷あいに響く。畔をこれほどまでに綺麗に仕上げるには「歯」の草刈り機ではなく「ひも」のやつでしなければならない。通称ブンブンマル、稲作派のこのオンちゃんもこれのなかなかの使い手で、仕上がりが実に見事、庭園を鑑賞しているような気になる。
 畑作派のオンチャンと稲作派のオンチャンが、見事な景観を作る。この景観と言う作物は、只で頂ける、ありがたいことである。

2012年8月6日月曜日

スポーツは日経

 大学生になってしばらくすると、新聞は日経を読みなさい、と次第にそんな雰囲気になる。で、とにかくまずは持ち歩く。まず面白くなるのは「私の履歴書」、そのうち何年かすると、ああ、やっぱり新聞は日経やね、となってくる。都会では当たり前のことではあるが、地方では決してそうではないようだ。日経を呼んでいると株の取引などの相場や先物など、胡散臭いかインテリか、の評となる。テレビのように情報を垂れ流すマスメディアの一部として新聞をとらえるならば、日経はその範疇ではない、情報を取りに行くツールの様な気がする。ただ「あれ、日経読みよると」と聞かれ、いちいちそんな私見を開陳するのも煩わしく、「いや、スポーツ欄が良いんですよ」と答えるようにしている。
 ところが、本当に日経のスポーツ欄が面白いのである。前々からそう思っていたのだが、間違いなく、日経のスポーツ欄のファンは多いはずだ。以前、阿刀田寛のサッカー記事についてFBに書き込んだら、学生時代の友人兼師匠の浅野目氏より「阿刀田寛の文章のファンが集まるサイトがある」と連絡があった。新聞のスポーツ欄はスポーツの内容結果を伝えるものではあるのだが、日経ではそれに種々の情報さらに人生観など物語仕立てで加わりまるで短編の小説を読んでいるような気がする。
 あえて阿刀田寛氏にかかると、と言わないのは、近頃日経のサッカー記事は岸名章友氏が書いている。これもまた良い文章である。阿刀田氏は柔道の記事を書いている。日経のこのスポーツ欄の部署は多士済々であるようだ。