2012年12月21日金曜日

1年、はやいな~


 お客様感謝の集いが終わると、1年も無事終わったな、と感慨がこみ上げる。公共工事が溢れていた時代、建設業を営み地元の保守系議員が仕切る建設業協会に所属すれば、それなりの仕事が回ってくる、そんな建設業者の古き良き時代、振り替えればそんな公共工事依存には縁のない弊社の成り立ちであった。秘書として政治の実際を垣間見た先は、中でもその大ボスの所。役所ぐるみで配分型の政治経済が成り立っていた。その大ボスの子は県議会議員、その選挙区に僕も出たのであるから、その政官財複合体とは決別せざるを得ない。
 そんな時代の産物、例えばどっぷりとその恩恵に浴した建設会社の豪華な本社ビルは倒産後競売で叩き売られるも誰も見向きもしない。そう言えば子の県議会議員は大ボスが事故で世上からフェードアウトするとともに、県議選挙に出る事も無く、福祉の補助金で背広を買ったとかの新聞報道とともに消えていった。大ボスが元気な頃は飲酒か酒気帯びか、白バイに捕まったとかの新聞報道も蹴散らしていたのだが・・・
その頃は地方で公共工事に依存しない建設業と言うのは有り得なかった。戸建て住宅は大工さんを中心とした家内工業的な存在が担っていた。そんな頃から20年になる。一軒一軒、一年一年の勝負、であるから無事、お客様感謝の集いを年末に開催できる事には、感慨もひとしおなのである。
 セルコホームで年初からBSで始まる番組のDVDが送られてきた。一部に弊社のモデルハウス、弊社スタッフが出演し、僕のハーレーも飾りで出ている。1年1年の勝負とは言え、追われてはいけない。楽しい企画を考え、知恵を絞り、ウキウキと夢を追う。
 またちょっと、いいアイデアが浮かんできた。プランを作り、お金が足りなければ銀行に行く。お金を借りに行くのではない。デフレ脱却の金融緩和でだぶついたお金の処理に困るであろう銀行の相談に乗るのである。

2012年12月3日月曜日

楽しいガレージライフ


このハーレーを買った時、前所有者はこのハーレーと共に、ハーレーライダーとして最低知っておくべきメカについての本と工具一式を持ってきてくれた。ありがたいような、しかし少々重いものを心に感じた。僕はメカにあまり強くない。興味はないことはないのだが、基礎知識がないので、できないのである。しかしそれでも「自分でするべき」と言う事ではなく「楽しみ」として、やって見ようかとも考えるようになった。この歳で大型バイクに跨り、そこそこに整備して、凄いですね、と時に自問し、いえいえ武人の務めですと自答する、そんな感じ、まさに自己満足の世界である。ハーレー用のオイルとオイルフィルター、フィルターレンチをネットで購入した。
  貰ったメカの本とネットで調べた知識で、オイルとオイルフィルターの交換をしようとしたのだが、そうしたマニュアルと僕のFXRはそれぞれの部品の配置などが大きく違う。ちょっと不安になり、前所有者に
 「オイル交換、どんなしてた?」と尋ねると
 「バイク屋でやってもらってました」との答え、
 「何や、そんくらい自分でせんばって、そんな意味でメカ本くれたとじゃないと」と言いつつも、オイルの廃棄パイプやオイルフィルターの位置を教えてもらった。自分でやってみるとなかなか色々と気付く事がある。知識が増え、これが楽しくなる第一歩なのだろう。オイルも黒くなり粘度が低下していた。交換後はエンジン音がまろやかになったような気がする。
 倉庫兼作業場兼書斎兼オーディオルーム兼応接間の薪ストーブに火を入れた。暖かい、音量を高めに音楽を鳴らし、オイル交換、楽しいガレージライフである。

2012年11月26日月曜日

冬麗の畑 あと100本と 背を伸ばし

  子供が、あの頃の自分の年頃になった。どう言う人生を歩むのだろうか。この年になると、ある程度人生を俯瞰する事が出来る。こうすればこうなるだろう、ああすればああなるだろう。古人はそれを「因果応報」と言う。子供には生き抜く力を、これからの経験で培ってほしいと思うばかりである。
 確かに僕は、あの頃に形作られたような気がする。意地とか夢とか、体の中のもやもやとしたものが、少しずつ出てくる。先輩や後輩を含めた友人関係、先生、本、そうした人間関係の孵化機に育てられた。
 大学の弁論部時代の友人たちと再会した。輸入住宅の総会が仙台であり、その折の上京を機に、僕の都合で恐縮に思いつつも、田舎者(交通弱者)を労わるつもりで、僕に日程を合わせて下さいと呼びかけた。7人が集まった。割と交流しているメンバーもいれば30年ぶりの再会もあった。なかなかそれぞれにおもしろい人生である。
 それぞれに、想いはそれぞれだろうけど、決して郷愁だけではないだろう。この場は孵化機なのである。エネルギーを顕在化させる、一つのシステムなのである。
 旅行ではないので、仕事なので、移動は格安でなければならない。福岡・羽田の航空券、東京・仙台の新幹線、それぞれに往復ホテル代込みで2万円台、トータルでも5万円程度の交通費、近いのである。これまでの経験や交友を経営資源に、何かをしたいともやっと、考えている。
 あわただしい出張から帰り、日曜日は野良仕事、玉ねぎを600本植えた。腰が痛い。早朝は霜がひどかったが、日差しが心地よく麗らか、冬麗(とうれい)と言う季語を思った。
 冬麗の畑 あと100本と 背を伸ばし

2012年11月2日金曜日

頑張って 子等に語る 居待月

 朝、7時過ぎ、家を出る時、西の空にやや満月を過ぎた月が、明るい空に浮かんでいた。スマホに「月読君」と言うアプリがあって、さっそくそれを見てみた。11月2日の月、満月に対しての比率が90.8%、寝待月と呼ばれる。月の出が19:26、月の入りが9:54、で、ふとここで気付く。今朝の月は今日の月ではなく、昨日11月1日の月、である。月の出は18:39、月の入りが今朝の9:06、この月は居待月と呼ばれる。この前日の月は立待月、17:56の出、である。立待月から居待月、寝待月、さらに更待月となる。何ともロマンティックなネーミングである。実に美しい。
 暦は今日から五十四候楓蔦黄(もみじつたきばむ)が七日頃まで。そして二十四節気霜降(そうこう)は立冬(りっとう)となる。ここ数日寒い日が続く。もうすぐ立冬と聞けば、さらに寒くなる、えっ、もうそんなに寒くなると、と衣替えの準備の遅れに気づかされる。
 長男長女、受験追い込みにも力が入ってきた。決められた日限に決められた事をクリアして行く、人生はその繰り返しの様である。ここで受験を経験する事はその習慣の基礎を作る事に意味があるらしい。結果によらず、ここで努力しないと、永遠に、決められた日限に一定以上の成果を上げきれない人間になるそうである。子供が学校から持ち帰ったプリントに、先生が書いていた。何となく、分かる、そう思う。
 朝、玄関を出て、車に乗り込む子供。ふと顔を上げ、「あ、月」、と言う余裕もない。むしろ朝の居待月が、行ってらっしゃい、頑張れよ、と語りかけているような気がした。

2012年10月23日火曜日

日本人として・・・

 スマホにお知らせのマークが付いている。メールやラインではない。よく見ると「こよみ」と言う無料アプリ、今日から「霜始降(しもはじめてふる)」、と言う日ですよ、とのお知らせである。1年は4季からなり、それを例えば初秋・仲秋・晩秋と3つづつに分け12、それをさらに2つに分けて24節気となる。それをさらに初候・次候・末候と3つに分けたのが七十二候となる。二十四節気を約五日ずつ三つに分けた、と言う表現が適切なのか、二四節気「霜降」の七十二候「霜始降」が今日23日から27日までなのである。
 以前住宅の営業で、小佐々の漁業関係の人と話をした時、今年は13月やけん、家は建てられん、との話を聞いた事がある。その年は当然新造船などもできないらしい。一言でいえば縁起が悪いという事である。松田石材社長と、前に話した事がある。お墓も、その年は嫌われるそうである。さて、13月、なんじゃそりゃ。
 現在の1年365日の太陽暦に対して旧暦・太陽太陰暦の話である。月が見えなくなる新月から満月を経て次の新月までが約29.5日になる。それで1月を29日と30日で組み合わせて12月、しかしこれだと1年が約354日になる。太陽と地球との関係での季節は365日の周期で変化するのでこの11日を修正しなければならない。そこで何年かに一度閏(うるう)月を入れる、その年は13月になる。19年に7回閏月を入れると、すんなりいくようになっている。明治維新を経て西洋と付き合うようになるにつれ話が合うように太陽暦が普及すると同時に、財政が慢性的に逼迫する政府が1月分の給料を辛抱するために、太陽暦になったそうである。やはり13月の年は兎角もの要りも多いのだろう、出費は控えなさいと言う考え方が「13月の年は・・・」となったのかもしれない。
 この七十二候一覧には本朝(日本)暦と宣明(中国)暦が併記してある。例えば今日は中国暦では「豺乃祭獣(山犬が捕らえた獣を並べて食べる)」となっている。日本であまりあり得ない事は七十二侯では日本仕様に変更されているのである。大本は中国なのである。
 隣国が排他的になれば自ずと対する側もナショナリズムが刺激される。愛国心と言うのは非常に美しいが、あまり排他的にならずに、むしろ自国を愛する、より深く知る、さらにそこから誇りを増幅する方向性へ向きを変えることも大事ではないかとも思う。七十二候、似たようなこよみである。しかし日本には獣の類は出てこない。全く違うより、この位の違いの方が、違いは大きいような気もする。
 日本人として・・・、怒るよりも・・・、日本の文化をもっとよく知る、事が大事だと思う。今のところは・・・

2012年10月18日木曜日

鼻炎で、スマホで、スマートハウスで・・・

鼻炎に悩まされ、もう5年位になるだろうか。花粉症と思い耳鼻咽喉科へ行ったが杉・桧・カビ・ダニ・ハウスダスト、など調べてもらったが原因が特定できない。しばらくして妻や娘が使っているお茶石鹸が原因かと、ニュースを賑わしている会社に電話をして、指定のアレルギー専門医に言ったが例の小麦アレルギーではなかった。結局原因は図らず仕舞い。症状の強弱はあるがほぼ一年中である。一年中マスクをしている。マスクの下が鼻水ダラダラなのか、かゆいのか、くしゃみが止まらないのか、アレロックを服用しながらの日々である。


 スマホのアプリに漫画写真、と言うのがある。マスクをすると老眼鏡が曇る、マスクを取ると鼻がかゆくなり、鼻水が流れ落ちる。ウゥウゥ~、って感じである。写真が自動的にこんな感じの写真になる。よく僕の気持ちを表現してくれている。スマートフォンは本当にかしこい。スマートと言えば・・・

 近頃スマートハウスなる「分野」が育成されている。賢い家、と言う事で、家が節電や創電・蓄電を始め省エネで便利な家電制御を、賢くやってくれそうな、そんな感じである。快適な家にするためには高気密高断熱にして屋外に対して快適な室内環境を省エネに維持するようにしなければならない。温暖な年間気候の地域であれば、風や日光など自然の恵みを効率よく室内環境に取り込むのが良い。この基本は古今東西変わらない。太陽光発電は投資額と電力料金との関係、夜間電力を車のバッテリーに蓄積するのはガソリンの価格との関係、ただそれだけである。まして高価な蓄電システムなど意味がない。電力など社会インフラは社会的に整備した方が効率的で省エネである。家・個人で代替できるものではない。スマートハウスの言葉に踊らされるのは、賢くないのである。個人では良さそうでも、社会的にはロスが大きい。

 社会的なスマートシステムは既存の建物を廃棄物にするのではなく、再生する事。江迎の商店街、かつては北松の一等地であったこの地の狭小敷地に建つ店舗併用住宅を、車2台のガレージ付き住宅に再生する。しかも若者が買えるリーズナブルな価格で。空洞化が進む中心街区の人口を増やす事が大事なことである。

2012年9月29日土曜日

モデルハウス完成ー土壁・炭の家ー

 佐世保市桧台に新しいモデルハウスが完成した。外周壁体を土壁で施工し、さらに天井と床下に炭を敷き詰め、自然素材の室内と相まって、すがすがしい住環境となった。
 来週には早岐地区浦川内町に、カナダ輸入住宅セルコホームのモデルハウスが完成する。消費税アップ前に頑張らねば。
 江迎町では商店街内の狭小敷地の店舗兼住居をガレージ付きの住居に改築している。少子化が進み現状においても国全体では住宅は世帯数を上回っている。既存のものをどうリノベーションするかと言う事は国家的な課題でもあるのだ。スクラップ&ビルドからスクラップ&リノベーションへ、時代の要請に半歩先を行きながら答え、社会の富の増加に資する事が、会社の役割である。社会に役割があれば、会社はつぶれない。ただそれだけの事なのである、とふと思う。
 9月末が決算、決算賞与は出せるか、次期にどれだけの受注を繰り越せるか、しかし、1年、早い、早すぎる・・・

2012年9月27日木曜日

アイフォン5、5年使ってみるか・・・

 そもそも物持ちは良い方である。深く大事に使う。車も最低10年もしくは30万キロ、は乗る。ハーレーも、おそらくずっと乗るだろう、事故さえしなければ。ゴルフ道具も至ってシンプル、ドラーバーとアイアン10本、パター、基本替えない、買わない。であるのだが、スマホがなかなかなじまない、色々と使ってみるが、なじまなかった。
 と言うのも、どうしてもアイフォンが欲しかったのである。アイポッドタッチに始まり、その良さをずっと実感していた。アイパッドに至っては秀逸な名品と言うか、モアベターではなくモストベストな機器である。それに大辞林と言う辞書ソフトを入れている。3000円位のもので、難しい漢字などは画面に手書きする事で検索する事が出来る。普通の辞書は読めなければどうしようもない。それに角川の俳句歳時記、これも同じくらいの値段。これがアイフォンでも共用できる。
 auでアイフォンを取り扱い始めたタイミングとアンドロイドスマホの交換時期とのタイミングが合わずに、何時かはアイフォンと思いながら、愛着も無く、使っていたのだが、アイフォン5で、やっと念願がかなった。5年、使ってみようか、と思う。
 そのアイフォン5、やっと肌合いがしっくりしてきた。アンドロイドと比べての実感は、アンドロイドが意外に改良されて使いやすくなっていたんだ、と言う事。マックVSウィンドウズ、みたいな感じになるかも、と思った。アイフォン5もどこか汎用品的な感じになっており、特異性のとがった部分が少なくなっているような感じがする。それでもシリ、は良い。農作業をしながら、ヘッドフォンで音楽を聴きながら、そのオーディオの操作、あるいは電話の受発信、メールさえイヤホンマイクでの音声指示でできる。電池も比較的長持ちする。
 いよいよ9月末、決算である。

2012年8月31日金曜日

街中活性化・・・

 若い頃から村おこし・町おこしの活動をずっとやってきた。祭りをやったり講演会や討論会をやったり。とりあえず40歳でJCが終わり、その後YEG、法人会青年部などが終わる。そんな頃から本業の経済活動、日常活動で、地域の活性化に資する事が出来ないか、常に脳裡に引っかかっていた。
 もちろん家を造る事、宅地を分譲し一団の集落を作る事、これも大変な地域活性化である。これはこれとして、あと一チャレンジしたい、何かをしたい、そんな渇望があった。
 それが形になりそうな感じになってきた。江迎の街中は商店街になっている。この商店街はかつて県北においては4か町商店街に次ぐ販売高があったそうである。要するに現在の佐々町以上の活力があった。一般的に土地建物の実勢売買価格は、固定資産税評価額以上である。発展著しい場合は数倍である事も多い。江迎の商店街では固定資産税評価額の方が高い。
 その一角、敷地面積40坪、建物床面積57坪の物件を今日、購入した。この商店街はどこもこの程度の内容である。かつてこの地区の土地は坪単価30万円以上で取引されたらしい。今、どの程度なら売れるのか、買う人がいるのか、この商店街には不動産屋の張り紙がしてある建物がいくつもある。何年も経過したようなはげかけた古びた張り紙は、価格が簡単には折り合わないことを示しているのだろう。
 例えばこの建物を解体して更地にする。解体費用はざっと400万円、400万円で購入し、400万円で解体し更地にすると、原価で坪20万円、800万の土地となる。商売が成立しない。購入費用はできるだけ安くすると同時に、解体費を下げる、解体しない、事からプランをスタートする。
 車2台のインナーガレージ、4LDKのお洒落な建物に劇的変身を遂げさせようと思っている。街中の狭小建物を民家再生し、2000万円前後の価格を設定し、20代30代に販売したい。もはや商店街の再生と言うのは後継者の問題を含めて無理に等しく、せめて街中の人口を増やす、子供がいる、そんな地域にする事が第一である。その事例、モデルを作りたい。

2012年8月16日木曜日

我慢比べ 負けて盆前 大掃除


 キュウリが成長期を迎えつつある。どんどんとできる。会社のみんなに分ける。それでもあまる。以前、大根が取れすぎた時にナフコで漬物用器を買って、一夜漬けに挑戦した事がある。その時の反省を踏まえ、工夫し、キュウリの塩漬けをしてみた。塩加減、が難しい。初心者の常として、入れすぎる。用器いっぱいに入れたキュウリも、何時間かすぎるとキュウリ自体から抜け出た水分に浸され、半分くらいの嵩になっている。ちょっと取り出して食べてみた。やはり塩が効きすぎているようだ。
 今回の工夫の第一は、コバエ対策。前回の挑戦ではコバエがたかり、中まで侵入し、食べる気が失せてしまい、すべて廃棄した。そこで今回、大きな袋で覆い、コバエの進入をシャットアウト、功を奏し、清潔な漬物となった。少々辛ら目、でもまあまあ、程よい酒の肴となった。

 わが家では、基本的に、掃除は、僕が担うべき大事な家事である。いつしかそうなった。散らかるに任せ、汚れるに任せ、我慢比べの様に日々を過ごすのだが、遂に耐えきれず、僕が、掃除を始める。わが家は住宅メーカーの社長宅と言う事もあり、当社の主力商品である自然素材の家づくりをしている。床材は厚み3センチの松の無垢材である。弊社展示場でも使っている。ご来場のお客様には、どうぞそのまま、素足でおあがり下さい、無垢材のやさしさをご体感下さい、とお勧めする。であるから、当然僕も家ではスリッパを履かない。しかし、妻と娘はスリッパをはいている。無頓着な息子と素足にこだわる僕が、素足である。無垢材の心地よさを知っている僕のこの素足が、ざらざらやヌルヌルに耐えかねて、掃除を始めるのである。盆正月前の掃除は特に大変で、掃除機をかけ、そのあと拭き上げるまで、たっぷりと一日かかる。
 掃除道具にも随分とお金をかけた。初期のロボット掃除機の廉価版の様なものも買った。充電式のハンディー掃除機も買った。使い物にならない。使わないと動かなくなった。ルンバを、買おうかなとも思う。しかしじっくりと考えてみると、ルンバが自由に動ける、掃除できる日が年に何回わが家にあるだろうか、となる。結局、ルンバに思いっきり能力を発揮させるための、掃除をしなければならないので、綺麗に片づけをして、掃除をして、綺麗になった後でしか、ルンバを動かせないという自己撞着に陥るのである。
 いや、掃除は僕の役目なんです。そう開き直れば、食後の皿洗いをしない事も、気後れしない。ここ数日、素足が気持ちいい。しかし娘と妻は、そんなここ数日も、スリッパをはいている。あえて、この感激を知ろうとしていないようである。

2012年8月8日水曜日

夕涼をめがけて棚田の草払い

 愛犬の散歩コースで見るような、日々の何気ない風景に時としてドキッとするような美しさを感じる事がある。
 梅雨の間は豪雨から畔を守るために、ある程度雑草を生やしておく。梅雨が明けると虫や病気の発生を抑えるために畔の草を刈り風通しを良くする。「今日はくるきりせんば」などと昔の人はよく言っていた。「くるきり」はたぶん「繰る切」で、「繰る」は長いものを引いて手元に寄せる、たぐるの意味で、長くなった草を手繰り寄せながら手際よく鎌で切ることの意味であるのだろう。
 昔農村では働き者のオバシャンが、朝露のした朝草の繰る切りをして、それが牛のえさとなり、イネなどへの好効果となり、美しい農村風景をを作っていた。今では農村に嫁ぎ、そんな働き者のオバシャンになる人などいない。農村青年がやっと50を過ぎたころから「魂が入ってきて」、親からの指示を待つまでもなく、自主的に草を刈るようになる。勤めが終わった夕方、ちょうど涼しくなった頃でもある。「夕涼(ゆうすず)である。
 この時間帯、あちこちで草刈り機の音、薬をまくミスト機の音が谷あいに響く。畔をこれほどまでに綺麗に仕上げるには「歯」の草刈り機ではなく「ひも」のやつでしなければならない。通称ブンブンマル、稲作派のこのオンちゃんもこれのなかなかの使い手で、仕上がりが実に見事、庭園を鑑賞しているような気になる。
 畑作派のオンチャンと稲作派のオンチャンが、見事な景観を作る。この景観と言う作物は、只で頂ける、ありがたいことである。

2012年8月6日月曜日

スポーツは日経

 大学生になってしばらくすると、新聞は日経を読みなさい、と次第にそんな雰囲気になる。で、とにかくまずは持ち歩く。まず面白くなるのは「私の履歴書」、そのうち何年かすると、ああ、やっぱり新聞は日経やね、となってくる。都会では当たり前のことではあるが、地方では決してそうではないようだ。日経を呼んでいると株の取引などの相場や先物など、胡散臭いかインテリか、の評となる。テレビのように情報を垂れ流すマスメディアの一部として新聞をとらえるならば、日経はその範疇ではない、情報を取りに行くツールの様な気がする。ただ「あれ、日経読みよると」と聞かれ、いちいちそんな私見を開陳するのも煩わしく、「いや、スポーツ欄が良いんですよ」と答えるようにしている。
 ところが、本当に日経のスポーツ欄が面白いのである。前々からそう思っていたのだが、間違いなく、日経のスポーツ欄のファンは多いはずだ。以前、阿刀田寛のサッカー記事についてFBに書き込んだら、学生時代の友人兼師匠の浅野目氏より「阿刀田寛の文章のファンが集まるサイトがある」と連絡があった。新聞のスポーツ欄はスポーツの内容結果を伝えるものではあるのだが、日経ではそれに種々の情報さらに人生観など物語仕立てで加わりまるで短編の小説を読んでいるような気がする。
 あえて阿刀田寛氏にかかると、と言わないのは、近頃日経のサッカー記事は岸名章友氏が書いている。これもまた良い文章である。阿刀田氏は柔道の記事を書いている。日経のこのスポーツ欄の部署は多士済々であるようだ。

2012年7月30日月曜日

タカダヨシヒコ:テイクファイブ


 二日酔いでグワイが悪くなければ、5時半ごろ目を覚ます。これまではまんじりともしないで、起きだすべき時刻を待っていた。ふと、これはもったいない、と考えるようになり、本を読むか、畑に出る。晴耕雨読である。昨日もスマホで音楽「吉田拓郎」を聞きながら、柿園の草を払い、キュウリにネットを張った。キュウリは種をまいていたら10本ほど、苗が成長している。かつてゴルフの練習のために使っていたネットが役に立った。良い感じ、キュウリ、大量の予感。
 夕方、5時からは伊万里でサックス教室の発表会。僕の出し物は、尾崎豊の「I LOVE YOU」。男にとって楽器の対象は女性である、と思う。もてたい一心、である。尾崎の歌声のように切なく優しく、抱きかかえるように、吹きたい。これをものにできればそれをものにできる。あれがものになるうちに、それをものにしなければならない。なにがものになるうちに、なにをしなければならない・・・

 僕がサックスを始めるきっかけは、このタカダヨシヒコである。佐賀と伊万里に櫓庵治(ろあじ)と言うおしゃれな店があって、そこの社長である。その店で時々酒の会や、ワインの会と音楽をセットにして、色々な企画をしている。そして自らサックスを奏で、ソムリエの勉強などしている。愛車はBM、向上心旺盛で、かっこいい。出会った当初、25年ほど前は、着古したスーツのズボンの膝から下をチャン切って、ベルトは荒縄、やはり着古したワイシャツ、これは当時農家のオンちゃんのユニホームのように一般的であったのだが、そんな姿でトラクターに乗っていた。そんな彼のテイクファイブ、これだ~



2012年7月27日金曜日

夏草に 負けぬオンチャン 七十路(なそじ)前

 自宅の入口の両脇に広い畑がある。耕作放棄地である。雑草が生い茂り、出入りの都度、心までが荒れた感じになっていた。その畑を数年前から、松原さんと僕で、管理するようになった。
 松原さんの本業は電設工事、今は息子さんが社長を継いでいるが、相当の経験を有する技術者である。時に重機が入って入念に畑が整備される。しかしいわゆる農民ではない。当初はうちのバアサンや通りがかりの地区の「農民」が熱心な松原さんに良きアドバイスをしていたが、今やこの地区に松原さん以上に熱心な畑作農民はいない。たまの休みに畑に出ると、松原さんより営農指導を受ける。
 僕は玉ねぎ、じゃがいもを収穫した後はたまに草を払うぐらいで、夏場は休耕である。広い畑の一部にネギ、なすび、キュウリを僅かに植えている。それでも夏草に、負けそうである。対して隣のオンチャン:松原さんはみずいも、黒だいず、いも、キュウリにトマト、なんじゃかんじゃ、栽培されている。写真手前が隣のオンチャンの畑、その先が僕の畑。この夏草に負けないオンチャンは、70前である。
 夏草に 負けぬオンチャン 七十路(なそじ)前

2012年7月26日木曜日

病葉(わくらば)の 影に微笑む 瓜の花

 「種」からのキュウリがしっかりと育ってきた。名人農家はまずポットに播種し、苗を作り、苗を畑に植える。手間暇をかけるのである。週末ずぼら農業の僕は、直接畑に種をまいて、そのまま育てる。発芽率はあまり良くないのだろうが、案外よく育つ。トマトやナスなど、夏野菜では直播で育つのはキュウリだけかもしれない。肥料はたい肥、農薬はかけない。「結果無農薬栽培」である。
 家庭菜園のキュウリは店舗で購入するものに比べ、とげがチクチクとし、ぬめり、においが、ある。生きている野菜の生々しさがある。

 病葉(わくらば)の 影に微笑む 瓜の花
病気や虫のせいで枯れそうな葉の向こうにひっそりと黄色い花が付いている。たくさん取れそうな感じ。本陣のもろみでモロキュー、吟醸酒、日本の夏である。

2012年7月11日水曜日

1Q84読了&その次

約1週間での読了となった。さすが村上春樹、とても面白い小説である。ある宴席でこの本が話題となり(たぶん僕がこの話題に巻きこんだのだと思うが)、当時読んだのだが、難しいというか分かりにくいというか、との感想をある人が言った。流行の、話題の真っ最中に高価(文庫本の2倍以上の価格になる)なハードカバーで読めば、何となくそうなるような気がする。「半歩遅れの読書術」なる書評がとある新聞には掲載されているが、この手の小説は、文庫本が出て、それを携帯し、自分なりのリズムで読むのが、やはり良いようだ。
 現実の世界、例えば1984年を生きていて、同時進行する別の世界1Q84に入り込む。この別世界は、それまで生きてきて経験した現実の体験から生まれたものであり、日々経験や体験は積み上げられたり上書きされたりして、仮想や幻想のようでありしかし、全く根も葉もないことではない。俺は子供の頃、勉強も一番、喧嘩も一番、走っても一番やった、なんて言う人がときどきいる。周りの評価や現実がどうであれ、もしかしたら試験で一度くらいはものすごい達成感で上位に入った事、喧嘩で下部リーグの戦いで山崎邦正の様なヘタレに勝った事、運動会で鐘がなったら逆走すると言うルールの駆けっこで運命の鐘で逆走しダントツの一位になった事、があったかもしれない。面白くない事は時間とともに忘却の彼方へ、そして残った事は経験に裏打ちされた真実として、脳の大きな部分に鎮座する。現実の人生と言う世界と、現実を脳が若干加工して出来ている自分がヒーローの世界、仮想なのか幻想なのか、しかし事実なのである。
 酒を飲むと現実とそんな世界が交錯する。以前ブログアップした「世評・・・考」のようにフラッシュバックした思い出があまりにも鮮明で具体的で、それはひょっとしたら脳がノスタルジーを求めて作りだしたフェイクなのか、現実にあった事なのか、自分でも分からなくなったりする。その頃を時代考証したり整理したりしてみると、現実の出来事である。いつでもどこでもモテモテで、俺の人生最大のモテ期が今かよ、しかし考えてみたらおれが持てないはずは無い、家庭を取るか、女を取るか、悩んで、深く悩んで、悩みが極限に達し、何かがおかしいのに気づく、これは夢である。子供の頃隣のみのるちゃんと遊んでいて、田んぼの畦から水路に立ちションをする。みのるちゃんをすぐに終わって他の遊びの輪に合流する、僕も早く立ちションを終え遊びに戻りたいのだがなかなか終わらない、遊び終わってみんな帰り始めても終わらない、困りが極限に達し、ちょっと待て、そりゃなかろ、と気づいた瞬間夢の立ちションは現実のオネショに代わる。あまりにもリアルな夢、夢のような現実、夢であってほしい現実、現実であってほしい夢、交差しながら進行し、同時進行する別の世界はあまりにもリアルである。最終的には「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」のようにすべては夢なのかもしれない。
 1Q84の世界に入ると、月が2つ現れる。僕もそう言うときがある。酔っ払いである。みんなリアル人生の他にそれぞれの1Q84を持っている。友人のY下Y生君は1Q84的世界に入りその喜びを極秘に独占しようとする時、話し声が小さくなって、眼が三角になる、目がヒラクチの頭になる。またヤアモト君は気分がすぐれない時何かの錠剤を服用しているらしく、それを飲んでさらにレオピンと言う強壮剤を飲んだら、合わせ技一本で1Q84的世界に突入しその支配者になって君臨する。とまあ、1Q84をそう難しく読まず、この程度に読了した次第である。
 「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか」と言う本が出ている。ハードカバーで分厚い、筋トレができそうなくらい。これが文庫本になるのを待っている。何と先に漫画になりそうな話もある。

2012年7月2日月曜日

小説は文庫本で・・・

 小説はハードカバーでは買わない。理由は、まず高い、そして重い、かさばる。であるから手軽に常に手元にある、とはいかない。学校の読書の時間に読むわけではない。ちょっと空いた時間、寝る前。そして近頃は老人性早起き症の思わぬゆとりの時間。鞄に入れ、机の端にあり、枕元にある。トイレや風呂にでも持ち込む事がある。これが一番大事なことで、重厚で高価なものはそうした扱いができない。
 政治学や経済学などの原論的なものはハードカバーでなければならない。しかし小説は、たかが小説されど小説、とは言いつつも、文庫本でなければならない。
 村上春樹の1Q84がハードカバーで出たのは3年ほど前である。その頃にはひょっとしてノーベル文学賞を取るかも、と言われていたようにも思う。この本も随分と話題になり、購入しようかとも考えたが、上記のポリシーを翻すまでには至らなかった。
 歴史小説以外でこれほどまでの長編は今までに読んだ事がない。もうすぐ1冊目が終わる。さすがに村上春樹、おもしろい。

2012年6月30日土曜日

世情・・・考


 久々にツタヤによった。5枚1000円のPOPに目がとまり、CDをレンタルした。矢沢栄吉、山口百恵、タイガース、そして中島みゆきを2枚。
 中島みゆきの「世情」に感動がこみ上げ、青春のあの頃がフラッシュバックした。
 浅野目義英と言う人間がいる。大学の同期ではあるが1歳年上である。感性が鋭く、話す言葉、書く言葉が美しい。そう言えば僕が大学で学んだことは、ひょっとしたら、彼から学んだ事なのではないか、近頃そう思う事がある。
 「こんな歌があるよ」と中島みゆきの「世情」を口ずさんだ。と言うのもその頃の法政大学は中核派の拠点校で三里塚闘争でキャンパスは騒然とし、シュプレヒコールが時折響き渡っていた。田舎者の僕はワクワクするようなオズオズするような、不思議な感覚でただ自分の小ささだけが身にしみた。
 「シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく 変わらない夢を 流れに求めて 時の流れを止めて 変わらない夢を 見たがる者たちと戦うために」 彼は歌詞を口ずさみ、そのあと色々な話をするのだが、それからと言うもの彼の雄弁の背には、この歌がBGMで流れているような、そんな気がした。
 こんなリアルな思い出は、本当にあった事なのかな、脳のノスタルジーの産物なのかな、そう思い「世情」を検索してみた。1978年4月に出されたアルバムに収録されて、世に出たようだ。で、僕が大学に入ったのが、その年。僕の知らない歌を彼は知っていた。あるいは聞いても聞き流すだけの僕に対して彼は、色々な物を感じていたのだろう。フラッシュバックしたものは、実際にあった事なのである。ひょっとしたら今も彼はこの歌を口ずさみながら日々を生きているのかもしれない。 さて、7月、今月も頑張ろう。

2012年6月23日土曜日

月末ライブ:I love you

サングラスはカッコつけというよりもテレ隠し。ハーレーも馴染んできて、サックスも少しずつ心地よくなってきました。楽しくなるためには時間がかかります。その時間があまり気にならないと言うのが相性と言うものでしょうか。

2012年6月18日月曜日

五月雨・・・考

例えば
 五月雨やかなわぬひとの事思い あるいは
 かなわぬと思い募れば五月雨る と恋唄などを考えてみる。季語は「五月雨」である。梅雨、である。
 昔は交通手段もさほど発達しておらず、雨となれば、行動は制限される。まして五月雨となれば、どうしても家におらざるを得ない。行きたくても行けない、思いは募る。そんな情念が「五月雨」と言う季語には込められているように感じる。
 まさに今日は五月雨て、あまり外出もせず季寄せを読んでいた。
五月雨(さみだれ)てもの思うときはわが宿のなく蝉さへに心細しや(曽丹集) と言う和歌があった。五月雨→物思いにふける、と言うのは、やはり万葉の昔から、日本人の心に染み込んでいるのである。
 日本経済新聞の日曜日の俳壇が、僕の俳句の師匠である。ふと「投稿」を考え、小さな字の説明にメールでもできると書いてある。3作送ってみた。これから2年の内に、1作は乗るように、頑張ってみるか。

2012年6月11日月曜日

風を切り 風に煽られ 梅雨晴間

梅雨入りが宣言されたものの、昨日は心地よい日和であった。ハーレーでナフコに掃除道具を買いに行くと、あまりの心地よさに遠出をしたくなった。農作業が一段落した時、そうそう時々自宅で行うBBQに食材を提供してくれる友人たちにわが畑の産物を届けよう、と思い立った。貧乏性の僕はドライブとかツーリングとかジョギングとかウォーキングとか、もったいなく感じる。A地点からB地点へ目的を持って移動する間、その移動もできれば楽しく沢山の意味を乗っけることが大事なことであり、無目的に移動のみを楽しむのはガソリンと体力の無駄遣いだと思うのである。で、ハーレーのバッグに玉ねぎを詰め、生月、平戸へ向かった。
 爆音を背に風を切って走る、実に気持ちが好い。そうそう、17歳の秋、バイクを自由に熟せる様になった頃、事故を起こし、以来自動二輪を封印した。この時期である、用心しなければならないのは、とスピードメーターに目をやると60キロ程度、これがハーレーの良い所、体感速度は80キロほどに感じる。途中4組ほどのツーリング集団とであった。最も多いグループでは30台は超えていただろう。また特殊な3輪タイプなど車種もいろいろである。普段あまり感じないがバイクを楽しむ人たちは多いのである。
 夕方は北高のサッカー部の総会、その前に休日の日課である愛犬の散歩。その途中で見る風景は実に好い。長男が小学校4年ごろからサッカーを始めた。試合の度毎の送迎や会の世話、当時はそんな事に「大変」を感じたりもした。が、これはお世話ではなく子育てと言う楽しみなのである、と感じるようになった。昨日も子供やそのチームメートたちがはしゃぐ姿を傍らで見ながら、その親父たちと酒を飲み、子供の将来や仕事のことなどを話す。
 田舎で暮らすこと、移りゆく風景、すれ違うバイク、子供たちの成長、何気ない日常も、好いものである。

2012年6月4日月曜日

日々新た・・・


つつじは綺麗だけども花が萎れて、しがみついて、なんとなく哀れである。子供が係る高総体も負けてしまい、日曜まで予定していた応援送迎がなくなり忙中の閑を得た。萎れた花もろとも、つつじを一気に刈り込んだ。そうだ、つつじは、花が終わったら一気に刈り込む、それが好い。実に綺麗になった。
 
 特別庭造りに、拘りはない。枝ぶりを鑑賞するような、要するに審美眼がないのである。しかし、方針はある。適度に手はかける。基本、自分でする。木は何でも植栽する。雑木林、が理想形。伸びすぎてうっとおしくなれば枝ぶりやバランスなど考えずに、適当にあっさりと切る。ツルが絡むのは嫌だ。気掛けて退治する。芝生の雑草は気にしない。しかしできるだけ刈る。刈れば雑草も目立たないし、雑草の種が早めに駆除される。槇の垣根の一部を刈り、畑への出入り口となっている。芝生、雑木林、畑が、すべて庭、である。

 夏野菜は、雑草との戦い。その勝利の方程式を見つけた。まずは抜きやすい時に、一度抜く。しかしそれでも雨が何日か続き、日を置いて畑を見てみると雑草に覆われている。作物の周りは一度除草しているのでさほどでも無いのだが、畝と畝の間の雑草が、膝ぐらいまで伸びている。これが畑から足が遠のき全滅の端緒となる。そこで昨日、初めてぶんぶん丸の草刈り機(歯ではなく紐をブンブンと高速回転させて草を叩き折る感じ)を使ってその草を刈ってみた。畑の雰囲気が一気に変わった。

 コーンは種を3、4粒ずつ撒いていく。成長する途中で元気のいいのを残し、他は間引きする、と言うのがマニュアルである。しかしこれでは間引きするときに地盤が弱くなり、残されたものが不安定になる。いっそ育つものは間引きせずに一緒に育てる。むしろ風に強くたくましく育つ。

 枝打ちの木は畑で燃やす。灰が石灰の代わりの土壌改良剤である。自家消費が基本であるから農薬は使わない。できるだけ循環型農業である。

 芝生もやめようかと思った。木も驚くほどに伸び、切り倒そうかとも考えた。夏野菜は無理、と敗北宣言をした。それでも体力が回復するとコザコザと仕事をする。新しい工夫と発見がある。毎日毎日、毎年毎年、同じことをしているようだが。ハーレーを磨いてドライブをした。上りカーブはコーナーリングが気持ちいいが、下りカーブは怖い、がそれでいい。だからハーレーなのである。時に軽自動車に煽られ、原付としのぎを削る。「エンジャクイズクンゾコウコクノココロザシヲシランヤ・・・」。明日は法人会のゴルフコンペがある。ゴルフも中年ゴルフを再構築しなければならない。

2012年5月28日月曜日

「ガール」は面白い・・・

 土曜日は早めに退社して玉ねぎを引いた。さらに夏野菜の準備の草刈りをした。日曜日は、朝8時から6大学OBゴルフコンペ、その後娘と映画「ガール」鑑賞、帰ってから、玉ねぎを集荷し、畑を耕した。なかなか、忙しい週末であった。
 高3の娘は来年受験、今のところ関東のY国大が志望である。以前は英文学部的な、英語力を伸ばすことを大学進学の漠然とした動機としていたようであるが、もはや英語力は当たり前、英語で何を表現するかが大事なこと、「貿易」に携わる仕事はどうかと、少しずつ刷り込みを行っている。その延長に女性が社会に出て、会社でそれなりの役割を担うということがどういうことなのか、今のうちからイメージを作らせなければと思い、「ガール」を見に行くことにした。この予告編を何かで見た僕は、これは必ず、娘に見せなければと、思っていたのである。そういえば高校生の頃の長男は漫画ばかり読んでいたが、漫画「ドラゴン桜」の事を新聞のコラムで知って、すぐに全21巻を買った。少しずつイメージを作らせ、そのイメージに進路を誘導させよう、時々刷り込みでそれを強化しよう、と言う作戦である。
 女はいつまでも「ガール」でなければならない、半分は「ピンク」で半分は「ブルー」、実に面白い映画であった。

2012年5月25日金曜日

鍬を手に 夏草なんぞの 気力あり

ここ数年、夏の高温に負けて、夏野菜敗北宣言となった。雑草に勝てない。週末農民には、夏野菜は過酷である。
 ここ2週間ほどは週末、ちゃんと休める。時無し大根とトウモロコシの草取りをした。今の時期なら、雑草も容易に抜ける。スマホで音楽を聴きながら、ゆっくりゆっくり、時にいろいろなことを考えながら、仕事のアイデアが浮かんだりもする。そう、これは趣味なのである。草取りも含めて、時に挫折感はあっても、野菜作りをスローに楽しめばいい。
 50も過ぎてくると、妙な肩の力もぬけて、使命感や焦燥感、達成感や挫折感、そうしたものにあまりこだわらずに、物事に取り組めるようになった気がする。大変なことは楽しいことなのである。この日曜日には東京六大学OBゴルフコンペなるものが開催され、初めて出場する。もちろん体育会的な全国大会があるような会ではなく長崎県北地区の懇親目的の会である。しかし、コンペとなればどうしても力が入る。いや、普段のプライベートなゴルフでも、力が入る。このゴルフ、このゴルフも使命感や焦燥感、達成感や挫折感、そうした心の中のこだわりを超えて楽しみたいのだが、なかなか、そうはならない。能力以上の成績は出ないのに、高額商品が掛かっている訳でもないのに、何を力んでいる、情けない、と時に思う。
 もうすぐ玉ねぎを収穫し、次は春ジャガ。それからキュウリやトマト、ピーマンを植えて、とうきびができて、と続く。週末の休み、畑に出るか出ないかが、気力体力のバロメーターである。

2012年5月18日金曜日

イニシエーション(通過儀礼)

北高に通う次男から夕方メールが来た。
「バリカン、家にある」
「前はあったけど、もうないやろ。使わんようになって、捨てたか、どっかに入りこんどる。何で?赤点か」とメールを返した。つい先日試験が終わったばかり。所属するサッカー部においては、試験の点数が悪いと試合に出してもらえないとかのペナルティーがある。もうすぐ高総体、その前に公式戦が続き、2年生の息子は貴重な戦力として試合に出ないわけにはいかない、かといって試験の点数が悪いとペナルティーを科さないわけにはいかない、そこでボウズ、となったか、と妄想癖の僕の物語は完結した。
「いや、それはない」、と返ってきた。そう、近頃次男はこれまでの無気力の殻が少しずつ破れ、意欲、を感じさせるようになった。北高普通人の75%位は、勉強するようになった。赤点は無いだろう。むしろこれから夏に向けて100番以内に食い込み、さらに上位を目指すというプランがある。しかしこれも僕の勝手な妄想なのだが。
 で、江迎についた息子を床屋に送り、10分でボウズとなった。聞くところによると、サッカーの練習でペナルティーキックの練習をしている時、不意にチームメートから
「これ外したら、ボウズね」、と声をかけられ
「おう、よかばい」と応じ、結果、外れたとのことであった。
 「冗談で済ますな。ボウズにせろ。北野は言ったらやるばい、そう思われることが大事、バカ事して、時に凶を演じることも大事、そうやって器を少しずつ広げんば」と僕もぐいぐいと背中を押した。息子も今自分はこの局面においてぜひともこうしなければならないと言う、時に使命感、時に脅迫観念、そんな天からの声を聴いてるようで、後姿は極度に緊張していたが躊躇なく床屋に入って行った。
 たかだかボウズにするだけのことではある。時を経て振り返った時に、より大きくなった自分がその時をおかしく思ったり、恥ずかしく思ったり、する。でもこれは大事な通過儀礼である、こんなバカごとをどんどんやってもらいたいと思うのである。
 娘も部活を辞めようかとずいぶんと悩み、人間関係に葛藤し、自分なりの折り合いを見つけ、辞めることを止め、後しばらくで高総体を迎える。その姿を見ながら、これから大学や社会人になるための好い勉強をしているなと感じた。
 あまり勉強しない僕ではあったが、大学時代、文化人類学という科目でイニシエーションなる言葉を知った。近頃なんとなく、この言葉が気になる。大阪市の職員刺青問題。この刺青もある種のイニシエーションである。通過儀礼と訳されるのだが、その市役所の職員はこの刺青と言う儀礼を通してどんな世界に入っていったのだろう。未だ無駄な僕の妄想癖なのではあるが、いつかはこの妄想を体系化して物語にしたい、そんな能力を身に着けたいと思っている。

2012年5月11日金曜日

娘のスマホ

高3の娘はアイフォンを使っている。最初、設定やら何やら質問攻めにあい、
 「普通、こういう先端機器は父ちゃんたちが子供に聞くっていうのが当たり前ぞ」
と文句を言っていたが、近頃ではその操作にも慣れているようである。しかし、わが家ではDVD録画をはじめ、「機器」的なものの操作においてあまり得意ではない僕をしのぐものが、今だ出てこない。不幸なことである。
 テーブルに娘のアイフォンが置いてあった。キティーちゃんのカバーがつけてある。
「あら、かわいかね。どがんしたと」
「友達がねアイフォン用に買っとったっちゃけど、スマホにしたけん、使えんけんって、くれたと」
 とのことである。
 そういえば普通の携帯を使う妻も時々、
「ねぇ、スマホとアイフォンと、どがん違うと」
 と聞いてくる。
「スマホって言うパソコン並みの性能を持った小さな電話って言うジャンルにアンドロイドとアイフォンとあって・・・」
 と一々延々と説明するのも、近頃では億劫になった。しかし、アイフォンを使う娘までが、アイフォン用に買とったっちゃけどスマホにしたけん、と言うことを考えれば、女性にとってそんな事はどうでもいいことかもしれない。
 待ち受け画面には愛犬が張り付けてある。そしてキティーちゃんのカバー、これが大事なことなのである。

2012年5月7日月曜日

連休は・・・

ゴルフをして、松を剪定して、ハーレーを整備して、家族で温泉に行って、近所の人たちとBBQを楽しんで、4日間を過ごした。これまでは子供の部活に忙殺されて過ごしたが、なんとなく子育て終了後の、のどかな時間の移ろいを垣間見たような気がした。
 来年は長男長女のW受験、その次は次男、そして夫婦だけの生活が始まる。
 坂の上の雲、で柄本明演じる乃木希典が馬にまたがる、それを見て、男児たる者ハーレーくらい乗りこなさなければと思った。去年の12月に乗り始め、暖かくなり乗る回数も増え、何となく近頃、馴染んで来た。いい感じである。時々軽自動車にも追い抜かれながら、鼓動を楽しんでいる。
 娘の進路の刷り込みがほぼ完了した。関東の難関校を第一志望にして、地元の大学を最終ディフェンスラインに置く。娘が遠くに行く悲しみは難関校合格という喜びで、滑り止めにしか合格できないと言う悲しみは娘が近くにいると言う喜びで、要するにどちらでもいいようにリスクヘッジしようという作戦である。なかなかの名案である。

2012年4月21日土曜日

月末ライブ:太陽に吠えろ


 まだまだ技能的にちょっと無理があるかなと、考えつつ・・・

2012年4月18日水曜日

セルコでハーレーでスマホで一人撮り

 このタイトルで何時か写真&エッセーを作ろうと思ってはいるのだが、「スマホで一人撮り」がなかなか難しい。弊社スタッフも「言って頂ければ・・・」と言うのだが、「スマホで一人撮り」は大事な「しばり」である。一人撮りのための工夫が大事なのである。
 重尾町のモデルハウス。ずいぶんと活躍をしてくれた。1年経ずして購入希望者に恵まれ、近くに新しいモデルハウスを建てる土地にも恵まれ、早々に売却する事にした。
 できれば視点をもう少し上げ家の全体を写したいのだが、なかなかこれが難しいのである。自分撮りモードにすれば画質が落ちる。であるから窮屈にスマホの画面をのぞき、10秒のタイマーで撮る。何か道具を探さねば・・・

2012年4月15日日曜日

山笑う


 山笑う、と言う季語がある。僕はこの季語にこんなイメージを持っている。入学式で親子が校門で写真を撮って、その時そよ風が吹き桜の花びらが舞う。花びらを追い、ふと見上げる山の木々が風に合わせてウェーブする。入学の親子を微笑ましく故郷の山々が、見つめてくれている。
 わが子が通った聖母幼稚園、久々にその前を通った。入園式、運動会、懐かしく思い出した。ふと見上げると風力発電の塔が春の心地よい風を受けながら、優しく幼稚園を見守ってくれているような気がした。この構図で運動会の時に写真を撮ってみるのも良いかな、そんな気がした。

2012年4月7日土曜日

そう言えば20年ーーー


 平成4年4月6日、弊社の設立登記の日である。20年と言うことである。32歳、政治を志し、やってやるぞと帰郷したものの、大人たちの手練手管に翻弄され、無為に時を過ごしていた。もっとも雌伏の時間はある種のエネルギーを蓄積すると言う意味においては決して無駄ではないのだが。その窮状を脱すべく会社を起こした。その年6月には結婚もした。もう時効だと言うことで白状すれば会社の資本金や結婚資金は住宅金融公庫のリフォームローンを利用させてもらった。
 どうにかここまで、よくぞここまで、と思わないでもない。しかしこれからの5年はこれまでの20年以上に大変なような気がする。105キロウォーキングで最後の5キロがそれまでの100キロ以上に過酷なように。当時は知恵もなく無我夢中、今は知恵はあるがそれは不安を掻き立てる方向にも作用する。
 頑張らねば。会社も子育ても、要するに人生の、集大成の時である。今日は見学会、土壁の家。一歩一歩確実に。

2012年4月3日火曜日

どっちが悪いか、良いか・・・昭和精神復興委員会


 テレビが面白くない事の原因の大きな一つは報道番組が面白くない事による。報道番組が面白くないのは、報道される側、政治家に魅力が無い事による。面白くない政治家と安定志向のジャーナリストがクラブを作って楽しんでいるのだろう。
 ドラマチックな疑獄事件も無くなり、小粒になった政治家は、世のため人のためと平気で看板を掲げ、自分の食いぶちとして福祉をやり、その金で背広を買い、いつの間にか消え去る。

  道楽の発端有志と称し
 阿房の頂上議員と為(な)る
 累代の田畑を売り飛ばし去って
 貰(もら)い得たり一年八百円
 有志と称して名士を気取る阿呆(あほう)な運動家の頂点が国会議員で、先祖代々の土地を売り飛ばし、毎年800円ばかりの歳費をもらって喜んでいる、それでいいのか、と言う意味。福沢諭吉の言葉である。

 井戸塀政治家が良いのか、吝嗇政治家が良いのか、究極の選択である。

2012年3月26日月曜日

仮面浪人




久々に畑に出た。冬野菜が終わった後の畑をトラクターで耕し、グリーンピースの草を取った。一日がかりの作業となった。スマホで音楽を聴きながら、その音楽をBGMにしながら、色々な事を考えたりもする。日々の生活の中で、地に足をつける、大事なことの様な気がして、楽しい事ではないが、僕にとってはしなければならない、作業である。
 二浪となった長男は、間もなく河合塾本郷校に行く。つまり、上京である。受験時期に東京を往復するより、いっそ、どうせ寮に入るなら、東京に行った方が効率的ではないかと、僕も進めはした。東大理類プレミアコース、何となく東大に入れそうな名前、長男は東大に合格したような気持ちになっているのではないか。
 「東京に行ったら、遊ぶとやないと」
 「いや、浪人生はプー程度の扱いやけん、ステイタスが無い奴には東京は冷たいけん、遊べんよ」、などと妻と心配したり、期待したり。
「志が高いけん、大変ね」と、妻も周りから言われるらしい。実情はそうではなく、まさに恐縮至極である。東京に行きたいと言うのが九大をやめて浪人生になったきっかけである。何とも幼稚な考えである。しばらくして「今、何を勉強して良いか分からん。東大は理1、2、3と分かれてるけど、一二年の勉強で具体的に何を勉強するか決めて学部、選ぶと。だけん、東大に行こうと思うと」と言うようになった。まあ、まともな事は言えるようになったかとホッとしたものの、不合格から予備校入学までの約一月、しばしの長男の生活は、何んとも覇気がない。
 もうしばらくで長男も出発である。昨日、長男がふと、これ、見て、とアイパッドでネットを開いた。いきものがかりと言うグループの「よっちゃんのつぶやき」と言うブログ。

受験生のみなさん、がんばって。

18歳当時、僕は京王井の頭線沿線にある都内の私立大学に通っていました。
現役で受かった私立大学には何の不満も無く、むしろその大学の校風は大好きだったし、その学生生活もとても楽しいものだったのですが、入学前から僕はどうしても諦めきれず、「仮面浪人」という変わった形の受験生活を送ることを決めていました。

いろいろ話すと長くなるのですが、それまで全てを中途半端にしてきた自分が許せず、一度でいいから自分の意志と責任で初志を貫徹してみたいという、今から振り返れば青臭くて恥ずかしい気もするのだけど、当時の18歳の自分にしてみればとてもとても大きな理由が、そこにはありました。

そんな風にして、始まった「仮面浪人」生活。

それは、今思い返しても、とても過酷な日々でした。


まず朝は4時に起き、海老名サービスエリアの早朝バイトに出ます。

もう一度受験をしたいというのは、まぎれも無い自分のわがまま。
少しでも親に迷惑をかけたくないと、予備校の受講料や大学の受験料、受験に関わる全てのお金は、アルバイトで自分でまかなうというルールを決めていました。

今から考えれば、それを遥かにまさる精神的な心配を親にはかけてしまいましたが、そんな自分のルールを達成するための早朝アルバイトでした。

バイトを終えたらそのまま2限からの授業に出席するため大学へ。

大学の授業が終わったら代々木に向かい、予備校へ。

予備校の授業が終わったら、1時間ほどかけて電車で海老名に帰り、家に着くのはいつも23時過ぎ。

そこからまた勉強を始めて1時、2時。

翌朝また4時に起きる。


今考えると、なんでそんな生活ができていたのか、まったくわかりません。

デビュー後に、「忙しいですね」と言われることが多くなりましたが、18歳のこのときほど忙しかったことは今まで無いので、たまに変な受け答えをしてしまいます。

加えて、とにかく孤独でした。

「仮面浪人」をしていることは在学中の大学の友達には伝えづらいものです。
「うちの大学が嫌いなのか?」と思われても無理は無いこと。大学ではかなり後までそのことを隠し続けていました。

続きはこちら http://blog.excite.co.jp/ikimono-yoshiki/8028911/

長男なりに、考えてはいるのだろう。

2012年3月16日金曜日

泣いてたまるか・・・昭和精神復興委員会2

泣いてたまるか。テレビはまるで才能の孵化機の様に、世の中に次々と面白いものを生み出していった。渥美清と山田洋次の関係もここから始まり、寅さんへ発展する。
 一話完結型で、ぼくはこの番組が好きだった。日雇いの渥美清が朝、仕事に行く時、玄関の框(かまち)に腰かけ、靴を土間に叩いて泥を落としている場面を記憶しているような気がする。そしてそれは岡林信康の「チューリップのアップリケ」の歌詞になっているような、気がするのである。

2012年3月11日日曜日

波浪注意報



妻の通知表つけも佳境に入り、家事労働削減により外食となった。子供二人をつれ、回転寿司へ。妻、長女、次男、そして僕、カウンターに一列に座り、それぞれに黙々と食べ始めた。僕と次男の前の皿がカラフルに積み上がっていく。ふと、その横、長女の方に目をやると、綺麗に色分けされ、しかも黄色と青つまり105円と135円、ささやかに重ねてある。思わず吹き出してしまった、
 僕ら世代の30歳前後の頃は、バブル絶頂で、「君は贅沢が似合う女だね」と言うことが、殺し文句と言われた。我が娘、回転寿司で105円と135円の皿を几帳面に少し積み上げ、なんとも慎ましやかである。
 堅実なのか、ひょっとして将来、君は貧乏がよく似合うと、男に食い物にされるのではなかろうかと心配になったりもする。長男の二浪が決定し、北野家族に波浪注意報、細やかな幸せは心地よい。

2012年3月8日木曜日

近頃のテレビは・・・昭和精神復興委員会1


 近頃のテレビはお粗末すぎる。考えてみたら人口的にもボリュームゾーンが高齢化し、ダウンサイジングが一般的となったのに、テレビは衛星放送など、むしろ供給側が急速に拡大した。結果、結論だけ述べればテレビが面白くなくなった。優秀な人材が担っていないのは歴然である。お笑い芸人でお茶を濁すような番組ばかり。ユーチューブで昔のテレビ番組など検索してみると、やっぱり現状の衰退感は絶望にさえ突き進んでいく。
 昭和精神復興委員会では、よき番組、知っていただきたい番組など、アップできればと思うのである。

2012年2月26日日曜日

月末ライブ:なごり雪


出会いの前の別れの季節。感動の季節、感謝の季節。わが子はこの季節に同化することもなく、引き続き、灰色の雌伏の時間が続くのだろう。それはまたそれで人生には必要なことである。
来年は長男、長女のW受験、大変だ。スネを鍛えねば。

2012年2月25日土曜日


去年、中国に行った時の空港。ひどいときには荷物がコンベアから飛び出すくらい、非常に手荒な作業であった。
携帯難民、どうやら卒業出来そうである。AndroidOSの暴走は遂に制御できなくなり、機械本体の交換となった。新しいギャラクシーS2は最初こそAndroidOSが暴走したものの、再起動したら安定、理想的な数値となった。

思わず嬉しくなり、このギャラクシーS2でどこまでPC並みの作業が出来るか、試してみた。寝っころがって、一連のアップが出来た。

2012年2月22日水曜日

携帯難民卒業か・・・

ここ2年ほど携帯難民化している。原因は諸事情で携帯をアップルのアイフォンにできない事にある。アイポッドタッチやアイパッドは使っており、アップルの製品の使い勝手の良さを熟知しており 、携帯からスマホに替える時にはアイフォンが良いなと、ずっと恋焦がれていた。が、アイフォンはソフトバンク、結局auのアンドロイドスマホを1年ほど前に購入した。シャープのインフォバー、これはこれでなかなかの名品ではあった。



 全般的にこの手の商品には当たり外れがあるようだ。かつて日本の電化製品が世界市場を席巻した時には、日本ならではのすりあわせ型物づくりで、同一商品には同一の機能性能が保障されることが半ば常識となっていた。これが常識ではなくなりつつある事は数年前、デルのPCが突然ダウンした時に実感した。物作りの主流がすり合わせ型から組立型に変わり、最適最廉価の部品が世界中から調達され、安い労働力の国で組立られる。デルのPCがデルの部品で作られているのではない。また同じ型のデルのPCであれば、同じ部品メーカーのもので組み立てられているという事でもない。一定の能力は表示保証されているものの、中身は完全に同じではない。であるから基本的に修理は不可能で、保証期間内であればいとも簡単に新品との交換となる。製品によっては、外れが、多々ある。



 インフォバーも一年ならずしての不具合発生で、機種交換となった次第である。交換したサムスンのギャラクシーS2、これもなかなかの名品である。電話としては大きいと言うよりも、タブレットとしては小型、と言った感じである。アイフォンとも能力的に引けを取らない。これは2年は使える、そう実感し、このギャラクシーで3000円ほどのケースを楽天市場でネット購入した。



 カスタマイズして使い勝手を良くし、ケースで保護し、お気に入りに仕上がった頃から、急速に電池が消耗するようになった。ネットでいろいろと検索してみると「アンドロイドOSの暴走」と言う症状の様である。ハードの問題ではなく、アンドロイドOSと何らかのアプリの干渉により、スマホを使っていないときでも急速に電池が消耗する症状が多々発生しているようだ。



 近頃の「新機種」ではある程度スマホの管理が容易になっており、とりあえずは自分で復活できそうである。毎回ショップに通うのも申し訳ない。 随分とアンドロイドに詳しくなった。苦労は知識を増やしてくれる。頭良いな、と感じつつも、時々グゼる、言う事を聞かなくなる、ふとわが子と重なる。まさか画面に貼り付けた長男の写真が不具合の原因ではないだろうけど・・・



 さて、そのわが子、二浪の恐怖と闘いながら・・・何ぞとつぶやいているとのことである。




2012年2月15日水曜日

禍福は糾(あざな)える縄のごとく(2)

いよいよ受験が始まる。まず私立の受験に5日間、そして翌週は東大受験に上京する。そのためのバッグを届けに予備校の寮に行った。久々に見る息子、落ち着いて話す時間は無く、車の中で10分程度話した。
 車内と言う密室、「オマエ、ちょっと臭い」「そう言えば、近頃、ふろ、入っとらんね」、良く見ると着ているジャージの本来白であるべきところが鼠色になっている。勉強に集中しているのだろうと良い方に考える。よし、頑張れと励まし、車を降りた息子は寮の方に帰って行った。その後ろ姿、シオタレタジャージはゴムが伸びているものか、いわゆるコシパンをさらにずり下げたようになっている。
 息子のツィッターをひそかに追尾している妻は、「ホテルは外人が多くて、ジャージじゃ何か浮いている、ってツィッターに書いとるよ、ジャージで行ったとやろか」と心配している。息子のシオタレタジャージとズンダレタ後ろ姿が目に浮かぶ。「まさか、ジャージで受験に行とるとやろか、試験官にチェックされて、服装で落とされんやろか」と妻は心配する。心配や不安はまさにこれまでの経験から出るもので、地方国立大学出の妻は、そう考えるのであろう。受験者数ベスト3にランクされる大学出身の僕は、そんなキメの細かいチェックは、東京の私立大学には無理よ、と答える。ただ、緊張感のある雑踏の中、息子があのシオタレタジャージで試験会場に向かい、ジャージがやけにずり下がったその後ろ姿が目に浮かぶと、一浪と言う瀬戸際で親としても心配で仕事が手に付かない様な状況になっても仕方がないものを、さして緊迫感が無い、何となく笑えるのは、ありがたいことでもある。

2012年2月10日金曜日

禍福は糾(あざな)える縄のごとく

東大は受験するのも難しいようだ。何せ、身近にそんな存在もなく、今まで知る由もなかった。これを機会に色々と知ってみようと思う。
 東大クラスになるとダメもとで思い出受験なるものも多いようだ。実際僕も当時そうしてみるのも面白いな、と思ったりもした。僕の頃は共通一次の前年で、多分受けようと思えば東大も受験できたはずである。東大に落ちた、と言うさもしい自慢話、である。その対策で、あらかじめ受験生をふるいにかける、今ではセンター試験の成績で、難関校には「足切り」なるものが存在する。東大の場合900点満点で理科1類、2類、3類で足切り点が設定される。センター試験を自己採点し、大手予備校の足切り点予想を参考に志願先を決める。文系であれば東大→京大→一橋、理系で東大→京大→東工などと、志願校が変わる。大手予備校の足切り予想は適切か、マークミスは無いか、疑心は暗鬼を生ず、色々と選択ミスもある。
 つらい事には、例えば2月頭までに東大に願書を出す、足切り点をクリアすれば2月10日前後に受験票が届く。もしくは納めた受験料の払い戻しの書類が届くと言う事である。その時点で国公立前期試験は他どこも受けられない。では京大に、とはいかないのである。
 さらにつらい事には、2月10日過ぎの週から早稲田、慶応の受験が始まる。東大にふるいにかけられ失意のうちにその受験に臨むか、あるいは東大本試験の前哨戦として気合十分に望むか、運命は分かれる。そんなセンター試験の足切りに冷や冷やするようでは、そもそも東大には合格しない、と言う厳かな意見もある。
 東大の試験では、センター試験の900点満点を110点に圧縮して、本試験では国語80点、英語・数学・理科それぞれ120点、で440点、総合計550点満点で採点される。センター足切り楽々合格ライン例えば800点とする。冷や冷や突破ライン760点とする。この違いは本試験で110点に圧縮されると97.7点と92.8点、僅か5点ほどの違いにしかならない。いわゆる「二次力」と表現されるものである。
 禍福はあざなえる縄のごとく、すべては通過点ではある。一喜一憂し、心配するのは親だけか、子のメールの雰囲気は意外に平然としたものである。受験票、もう着いとるはずよ、連絡なかってことはダメやったかな、無知は心配を増幅させる。「受験票、来た」とさりげないメールが入る。

2012年2月3日金曜日

頑張れシャープ!!


 子供の頃、兄はソニーのラジカセを持っていて、その性能や質感は東芝やナショナルと違っていて、一種独特、子供でもそれを実感できた。シャープはその間にあるような感覚で、質感の高級さは感じないものの、性能はなかなか、いいとこ、ついてるね、そんな感じの使い勝手の良い製品であったように思う。
 ザウルスも3台ほど購入しただろうか。あの延長には独創の良い製品があるような気がしていたが、タブレットに駆逐されてしまった。いつの間にか液晶の一本足打法で亀山モデルと言うホームランを打ち、シャープはホームランバッターではないような気がしていたが、例えばイチローの様に小刻みにヒットを打つような、そんな存在と思っていたが、遂にその悪い結果が出てしまった。
 が、それはシャープだけではなくソニーもパナソニックも。がんばれ日の丸家電。
 さて、DeNA、プロ野球参入で大きく株価を下げていたが、1930円で400株購入、今日あたり2200円を超えそうである。金余りの世の中、電気がだめならこう言うのに向かわざるを得ないだろう。

2012年1月29日日曜日

月末ライブ(3):いい日旅立ち


去年の10月から始めたサックス、一月経過ごとにYouTubeにアップしてきた。一月目アメイジンググレイス、二月目北の国から、そして今回は「いい日旅立ち」。受験生、卒業生に捧げるエールです。
がんばれ、みんなの子供たち!!
スマホ、タブレットなどでは音質が悪く、実際以上に下手に聞こえますので、ぜひステレオイヤホンで聞いてください。

2012年1月24日火曜日

一年前と三か月前

いよいよ受験である。一年あっという間である。そして、ふと思う。3月前、どうだったかな、何をしていたかな、何となく遠い昔の様な気がする。一年前より、三月前が、昔の様な気がする。
 私立と国立と1週間ずらして飛行機の往復、ホテルを手配した。ネットと価格破壊のお陰で驚くような金額にならないのは、ありがたい。去年も早稲田を受験しており、またすでに大学生になった友達も東京におり、今回はそう心配もない。
 さて、東京暮らしが始まるか。住居費以外では東京も地方都市もそう生活費は変わらないのではないか。アパート探しが一苦労である。もちろん合格すればのことではあるが。

2012年1月15日日曜日

昨日今日ー

スタッフの要件が重なり、昨日今日は展示場での待機となった。来客が続くわけでもなく、時間を持て余し、去年は今頃、どうだったかな、とブログを読み返して見た。どうやら飲みすぎて年末年始、体調を崩すのは例年のことであるようだ。
昨日今日は、センター試験でもある。長男、初日はまずまずであったようだ。本試験前に足切りにあったら元も子もない。ただどちらにしても長男は悲壮感のキャラが全くないので、結果を問わず、深刻な心配には至らない。900点満点で800点以上を目指すそうな。親としても二度目となると、何となく、オドオドすることもない。俯瞰して楽しむ自分がいるような気がする。