2015年1月27日火曜日

農協座談会に参加して

 1月14日からスタートした江迎町内各地区の営農座談会、1日1か所の全13地区が、明日で終了する。これまでの農協の役職員の経歴もあり、全地区に参加させていただき、所信を述べるなど後援会活動への協力のお願いなどさせて頂いた。地域を網羅的にコミュニケーションできるこうした場は極めて貴重で、ここにに参加できるかどうかと言うのは優勝劣敗の分かれ道のような気もする。
 佐賀県知事選で農協推薦候補が予想外の勝利を果たし、農協を取り巻く政治的環境が微妙に変化しているような気がする。かつて農協職員として働いていた30年ほど前は牛肉オレンジの自由化反対などで組織力を誇示し、年々の米価要求も闘争的であった。あれから30年・・・、ではないが、何となく組織は落ち着いている。闘争的ではない、しかし、各地区にこうした座談会を開催できる組織が他にあるかと言えば、無い。末端の座談会に集う組合員がいることが農協の財産である。
 限界集落化は、今、そこまで迫っている。最後の砦はこの組織である。地域が崩壊しようとする時、組織化から始めるのと、組織を活かすのとでは成果が大きく違う。協業化や農地の流動化など、組織さえあれば打つ手は多々ある。危機が不幸に直結しない、課題解決がチャンス拡大、発展に結びつくことだって多々ある。
 「農協こそ」と言う表現では曲解されるかもしれないが、「座談会に集う人々の組織」こそ日本の、地域の財産であり、力である。「座談会に集う人々の組織」がこれからの地域を築く。

2015年1月20日火曜日

東南アジアの活力を地域へ!

 娘が交換留学の制度で1年間、タイのチェンマイ大学に行くことになった。ビザが取得できるのは東京か大阪、しかも受付時間は2時間ほどで、東京だと3日かかる。そこで、上京→長男のアパートに泊まる→タイ王国大使館にて手続き→弟に引換証を渡す→帰る、の一泊二日で済ませることにした。弟が後日大使館に取りに行き娘のところに郵送する。
 長男長女次男はほぼ年子である。幼い頃は仲良しであったが、そう仲が良い兄(姉)弟と言うわけではない。次男は寮生活、で長男のアパートに泊まることにしたが、ビザを取りに行くべき日は長男は試験だと言う。そこで次男が取りに行くことになった。上京する長女はホテル宿泊でもよかったのだが、兄弟が協力し合うという事を、事々に仕向けたかったのである。
 東南アジアも近くなった。これからの日本は或は地域は、東南アジアなどの成長スポットの活力をどう取り込むかにかかっている。娘にも英語のTOEICなどの点数がある程度取れて、東南アジアの現地語が分かれば就職に苦労しない、と言うよりも、企業が欲しい人材となる、とアドバイスしてきた。2月中旬に出発する。
 で、こんなふるさと創生、いかがでしょうか。

2015年1月4日日曜日

年末年始

 長男次男は暮れの28日に帰省し、開けて5日に上京する。春秋航空、成田・佐賀の往復、一人約4万円、この時期としては格安ではある。娘は長崎から31日に帰り、開けて4日に戻る。何でも5日の1間から授業が始まるらしい。概して女性は真面目である。新年の5日の1間の授業に出るのは、当たり前のことの様である。娘は2月中旬からタイのチェンマイ大学へ1年間の交換留学に行く。授業料は長崎大学へ納める分ですみ、現地での生活費だけでよく、彼の地は物価も安く、親の負担増とは成らないようである。
 子供たちはそれぞれに、実に忙しい。親よりも、家族よりも友人との遊びである。それはそれでいいのだが、実にせわしい。長男は免許を取っているので車さえあれば自分で運転するし、妹弟の送り迎えもできる。まあ、運転技術も安心、役に立つ。娘も車の免許は取ったのだが、ちょっと運転させてみた。急発進に急ブレーキ、これでは運転は無理だ。
 長男は院に行くか就職か、今年が判断の分かれ目、「院は国立にせろよ」と一言。これと言って没頭できるサークルとの出会いがなかった次男は春には劇研に入るとか。早稲田の劇研、モリシゲやサカイマサトのあれ、で、中退するのが一流と豪語する、あれである。「卒業はせろよ」と一言。何となくバラバラな北野家族、僕も青春の夢に従順に生きて行こうと思う。
 「政治」と言うのは僕にとって「夢」ではないが、良き道しるべであった。志を鍛える、努力する、おかげで今日、細やかではあるがここに至った。議員になるためにコツコツと積み重ねてきたわけではない。
 今日(4日)の新聞に「敢為」と言う言葉があった。一般的にはよく校訓などにある「積極敢為」の様に「物事を困難に屈しないでやり通すこと」として理解されているが、「敢(あ)えて天下の先(せん)と為(な)らず」(あえて人々の先頭に立たない)と言う意味が紹介されている。日々仕事をこなしておればおのずとそういう役回りが回ってくる、使命が巡ってくる、そんな意味の様である。使命感を持って、感謝して、人生の締めくくりの仕事として取組み、全うしようという新年の誓いである。