2013年12月3日火曜日

師走かな・・・

  いよいよわが家の師走がスタートした。この時期になると妻の学校からの持ち帰り仕事の量が増える。朝、テストや作文などの採点や自作教材などが炬燵の上やその周りに散乱している。妻もこの時期までは気力体力は充実しているようで、それは散らかり具合からも伺えるのだが、ここに通知表が積み上がる頃に疲労がピークを迎える。朝のこの様子を見て、ふと思うことがあった。
 まず、2か月ほど前か、教職員の残業を問題にした新聞記事があった。年間相当な時間になるらしい。それを残業賃と言うものに換算するかどうかは別問題として、それが相当な時間になることはわが家でも実感している。いっそ、学校にタイムカードを置いてはどうかと思う。首都圏ではおいている学校も多いという。しかし使用実態は、出勤時に押して、退勤時には押してはならないとなっているらしい。
 司法試験改革で弁護士が増えて、同時に食えない弁護士も増えて、サラ金の過払い金請求が今や弁護士事務所の大きな収入源であるらしい。その次の収入源として弁護士事務所が狙いをつけているのが「未払い残業賃」であるらしい。サービス残業を強いられた労働者が、その会社を辞めた後請求するのである。殆ど、労働者が勝訴するらしい。いつの日か学校もそうなるのだろうかと、ふと思ったりする。うちの場合、何となく天職との思いも強い様で、「残業賃」的な感覚は無い様ではあるが、ゆとりはあったがいいなと、思う。
 思ったことの第2。綺麗な墨字を見て「板書」と言う言葉を思い出した。小学生の頃、校門を過ぎた左手に掲示黒板があって、週間や月間、学期の目標や道徳的な言葉などが絵を添えて書かれていた。とても綺麗な字であった印象が遠い記憶の向こうにある。1年生の時の担任の女性の先生も、とても綺麗な板書であった。教育委員をしているとき学校の授業を視察することがよくあった。板書がきれいな先生、そうではない先生、いろいろである。板書は綺麗であって欲しいな。この板書も教師の技能の表れで、その思い入れは見るものに伝わる。
 先生も走らねばならない、忙しい。忙しくあることの楽しさを感じつつ、頑張りましょう。
 

2013年12月2日月曜日

玉ねぎを植える

 

 去年は玉ねぎの苗を800本ほど植えた。生育の途中で病気が出たものか、相当数がいつの間にか消えていた。しかし生き残り、出来上がったものは玉の大きさと言い、重量感と言い、満足の出来で、しかも甘くとてもおいしかった。刺身や焼き魚には普通白菜やキャベツの千切りなどが添えられるが、わが家ではずっと玉ねぎをそえる。いや、むしろ玉ねぎに魚が添えられているように感じている。
 で、今年は1000本、植えることにした。どうしたら効率的に短時間で植えることができるか、考え、実践している。去年は溝を切り、苗を並べて、クワで土をかぶせる、と言う方法で、やってみた。この方法だと苗が寝た状態になり、その分間隔が広くなる。植え付け後、「何でこのよに間、開けたと」と、隣のおんちゃんから教育的指導が入る。今年はオロナミンCの瓶の口側でポンポンポンと土中に穴を開け、苗を差し込むように植えた。何となく、いい感じ。しかし中腰での作業時間が長く、足腰には相当の負担がかかるようである。痛い。
 連作にならないよう去年植えつけの場所から離し、石灰を撒き、堆肥を入れ、隣のおんちゃんからもらった海藻の切れ端のような肥料を投入し、さらに植えた後、草の押さえにも良かろうともみ殻をかぶせた。このもみ殻は近くのコイン精米からもらってきたもので、クズ米も少し混じっている。何となく栄養価も高そうな気がする。良いものができそうな気がする。今回は真面目な農民以上に真面目に取り組んだ。
 そう言えば近頃、週末農業に投入できる時間が増えた。そうか、上2人の子供が大学生になり家を出たからか、とふと気づく。来年、末の子が家を出れば、ますます時間が増える。夫婦で穏やかな時間を過ごしながら、いろいろと、やってみようと思う。