2013年3月29日金曜日

35年前

子供の入学式に合わせ、千葉と埼玉の親類へご挨拶に行く。埼玉は妻の叔母さん、長男長女の受験で随分とお世話になった。千葉は母親のいとこ、僕が35年前に受験でお世話になった。
18歳、僕は受験のために始めて上京した。貧乏とは言わないけど、東京の私立大学に進学するには相当の負担を強いる。受験する大学も絞り旅費も最安、まさに「遠縁の親類を頼りに」と形容されるよう心細いものであった。夜行寝台さくらで佐世保を夕方4時過ぎに出て、翌日朝11時半に東京駅に着く。千葉の西船橋の親戚にお世話になった。常に最小の費用でと言う貧乏性は、今でも心身から抜けない。今回の上京もSKYマーク、安い分神戸を経由する。非常に面倒だ。
初めての上京で電車の乗り方もよく分からない。駅によっては改札を幾つも通る。最初の改札に切符を出してしまい本来出るべき改札では切符がない。困り果て駅員に事情を説明する。何とか通してもらう。みんな優しかった、そんな印象が不思議と今も残っている。あの都会の喧騒の中での孤独感、野心と言う程までには成長していない 成り上がりたいと言う細やかな意地が、自分自身の小ささの自覚と交互に心を打つ。その鼓動が今日に至る僕のエネルギーであったように思う。だから長男が九大を辞めると言った時も、内心は歓迎した。孤独感や挫折感や、そんな中での経験が何よりも大事だと思うから。
長男は武蔵小杉に住む。そう言えば35年前、法政大学の受験もこの駅だった。


0 件のコメント: