2016年4月11日月曜日

市政報告:吉井地区公民館等について



この画像は打ち合わせのためのイメージ図とされています。大まかこうした間取りで検討が進められています。「吉井地区公民館・福井洞窟ガイダンス施設整備事業」として進められ、4000万円ほどの予算がつき、今年度建物基本設計などが行われます。

 29年度に実施設計、30年度から建築工事に入ります。現在の公民館を中心にこうした行政施設が集約され、便利になるようには思いますが、吉井地区の住民の皆様方は、いかがお考えでしょうか。

2016年3月28日月曜日

長崎新幹線のお話 終わり

佐世保線の輸送改善について
 表定速度と言う概念がある。途中駅での停車時間も含めた平均速度のことで、博多〜大分間は時速89キロメール、対してJR佐世保線では時速52キロメールとなっている。なぜそんなに遅いのかと言うこと、次の理由がある。
 •曲線通過時の速度制限  半径600メートル未満の割合が武雄温泉〜有田駅間で21%、有田駅〜早岐駅で32%、早岐駅〜佐世保駅で48%となっている。
 •縦断勾配、要するに高低差。武雄温泉駅〜有田駅では10%超が57%、15%超が
35%、20%超が18%となっている。
   輸送改善=高速化を図るためには、曲線を改良したり、カント修正(外側の線路を高くする)、また振子機能(曲線通過時に車体を傾斜させる)付きの車両を導入すると言う方法が一つ。次に枕木をPC(プレストコンクリート)枕木にする。しかも高速になるにつれ枕木間を密にしなければならない。また佐世保線では全通過駅で行き違い可能になっているが、それを一線スルー化にするなどの改良改善が必要である。
 現在特急みどりは最高速度時速95キロメールで走行しているが、上記の改良などを行い最高速度を110キロメールで走れる様にすると、博多〜佐世保間、5分ほど時間短縮が出来る。特急かもめの様に振子機能がある車両を導入し最大限の高速化を行い最高速度時速130キロメールを実現しても時間短縮効果は11分前後とされている。
  FGトレインが佐世保線に導入された場合、どの位の時間短縮ができるのか、そのための費用はどの程度必要なのか、いわゆる費用対効果、4月中旬には報告書ができる様である。
  その際はまたご報告いたします。

2016年3月26日土曜日

長崎新幹線のお話④

 平成34年にフル規格で長崎ー武雄温泉間が完成する。この間は新幹線が運行する。武雄温泉駅で在来の特急に乗り換えて博多へ行くこととなる。FGトレインが平成34年の中旬、2編(8輌で1編)、順調に行けば完成する。FGトレインは武雄温泉駅から在来線に乗って、博多まで行く。九州新幹線の新鳥栖駅にアプローチできるのは平成36年になる。その頃にはFGトレインも量産され、長崎を出たFGトレインは武雄温泉駅で軌道を変え在来線に乗り、在来線を走り、新鳥栖駅で軌道を変え九州新幹線に乗って博多へ行くことになる。現状においては、平成36年の完成形でも2回軌道を変えなければ博多まで行くことはできないのである。完成形において、長崎新幹線、長崎博多間は1時間20分、現行在来特急に比べ28分短縮される。
 ビミョー、ってな感じである。

2016年3月24日木曜日

新幹線の話 番外政界周辺人物遍

 新幹線など巨大なプロジェクトが動き出す時、利権をめぐりドラマが繰り広げられる。新幹線早岐近接ルートの際には某代議士系が土地を買いあさったという噂が流れた。また上五島洋上備蓄基地の建設に際しても、別の某代議士系の地上げが噂された。
 五島出身で福田派所属議員秘書の経歴を持つS不動産会社M社長は、まずこの上五島洋上備蓄基地の頃から、その世界で名を馳せる事となる。その後長崎新幹線が膠着状況に陥ったさなか、新幹線の長崎駅に予定されていた場所にプリンスホテルを建てた。S社長は最盛期には住専から4000億の資金を引き出したと言われたが、バブルがはじけ、プリンスホテルも手放し、世の喧騒から少しずつその名前が消えて行った。
 ところが何と、2007年、朝鮮総連本部ビル売却問題で登場する事となる。詐欺容疑で逮捕されたのだが、一緒に逮捕された緒方重威は何と元公安調査庁長官、である。そのニュースを見たとき、このM社長って、あのM社長かな、とにわかに信じがたく、しかし、あのM社長なのである。大物さが、初めて分かった次第である。
 リレー方式とは、長崎から新幹線に乗って、武雄温泉で在来線に乗り換えて、博多に行くという事で、あまり心が弾まない。取りえずフル規格の長崎ー武雄温泉間は線路を内側に一本加えて、在来特急を走らせた方が、乗り換えなしで便利なような気がする。ましてほとんど高速バスを利用している、価格差はどうなるのだろう。
  県の職員が長崎新幹線にまつわる情報を建設会社社長に漏らし、捕まった。もらった金額は72万円である。
 話が、小さくなってしまった。

2016年3月22日火曜日

長崎新幹線のお話③

決して密約と言う事ではなく、佐世保市にもそれなりの文章が残され、「むつ」の修理引き受けとリンクして、長崎新幹線が現実味を帯びてきたのは間違いない。時系列には昭和48年11月10日九州新幹線西九州ルート路線決定、昭和50年、むつ受入れ打診、昭和53年10月16日、むつ受入れ、となっている。
 昭和60年1月22日、一般的にアセスルートと呼ばれる佐世保市早岐駅に近接するルートが発表された。しかし昭和62年4月には国鉄はJRへ変わり、より採算性が問われるようになった。長崎新幹線は膠着状態に陥り、遂に平成4年12月5日、アセスルート(佐世保よりルート)を断念する旨の知事・市長共同声明が出されることとなった。
 佐世保市議会には知らされることも無かったことから、市議会は市長に対し問責決議を可決し、さらに議長が辞職する事となった。その後佐世保市議会は県全体の発展と言う観点から「苦渋の決断」をし、短絡ルートを受け入れ、それを進める中で、佐世保線の輸送改善に取り組むこととし、また県においても「九州新幹線等の整備に関する基本的考え方」を平成4年11月24日に示し、県議会全員協議会においても了承されている。
 以上の様な経緯で、長崎新幹線については、何か事が動けば、当然に佐世保市に言うべきである、と言うのが佐世保市の基本的な考えなのである。
 その長崎新幹線、今どんな話になっているのか、佐世保線の輸送改善って何、と言う事であが、話があまり盛り上がらないのは、何となく、分かります。
つづく

2016年3月20日日曜日

長崎新幹線のお話②

 昭和48年11月10日、九州新幹線西九州ルートの路線決定が行われた。ただ路線決定したからと言ってトントンと進むのではなく、新幹線は時には平然と昭和の三大バカ査定(戦艦ヤマト・伊勢湾干拓・青函トンネル)に類して表現されるなど、すんなりとはいかない。そこで、知恵が絞られる。
 昭和50年、原子力船むつが放射能漏れを起こし、修理を受け入れる港がなく、洋上を漂流することになった。それを受け入れるところは、すでに米軍の原子力艦艇が入るなど核アレルギーが少なく、放射能監視体制があり、修理機能を備えた造船所があることなどから、佐世保市しかない、と言う事になった。そこに登場するのは、辻一三佐世保市長、久保勘一長崎県知事、松田九郎県議会議長、三木武夫首相、自民党河本政調会長など。こういう時は
「何してもらえば、何する事は、政治の務めですから」とか
「何が、何せん時は、何しますから」とか
「そうそう、あなたの言う通り、僕の思う通り」何ぞと会話しながら、政治的な妥協が図られる。
 昭和51年2月10日、三木総理大臣から久保知事、辻市長に対し、佐世保港での「むつ」修理について要請がなされた。その後三木首相はむつの見返りは十分検討すると語り、久保知事が河本政調会長にむつ見返りは長崎新幹線の即時着工であるとの念押しを行うなどし、核封印方式など知恵が絞られ、昭和53年10月16日、むつは受け入れられた。
 三木総理の三木派はその後河本政調会長の河本派となるが、久保知事は知事になる前は三木派の参議院議員、松田九郎県議会議長はそうした流れの中で、その後河本派の代議士となる。河本敏夫は「クリーン三木の濁一点」と時に評された三木派の資金調達係で、大手海運会社三光汽船の実質的オーナー、その後衆議院選挙に際し三光汽船からバルクキャリア船をSSKに大量発注し、松田九郎をSSK丸抱え支援させ、松田九郎の初当選を支えたと、言われた。
つづく

2016年3月19日土曜日

長崎新幹線のお話①


 近頃、佐世保市議会や佐世保市において、長崎新幹線の議論が局地的に沸騰しているように感じる。「局地的」と言う表現が正しいのかどうか、とりあえず内容を良く知ることが第一である。
 都会から故郷へ帰る者は、まず新幹線に乗って、故郷へ近づくにつれ、乗り換える乗り物はスピードが落ち、地域的な交通手段で到着する。平成34年には、何と長崎から新幹線に乗って、武雄温泉で在来に乗り換え、博多でまた新幹線に乗り換える事になる。これは人々の生活が便利になることかなのか、普通に考えれば普通の答えが返ってくる。だから一部で盛り上がったような議論が一部関係者の間でしか、盛り上がらない。
 一部関係者には佐世保市も含まれる。FGT(フリーゲージトレイン)、いわば複数の軌道幅に合わせることができる新幹線、が完成しない事で、リレー方式とか騒がれ始めた。そうした事が国土交通省から発表され、説明されるのだが、長崎県、長崎市、そして沿線の大村、諫早、さらには島原半島の自治体には説明会の声がかかるのだが、その席に佐世保市は呼ばれていない。
 「何でや」となる。
 「お前たちは(誰の事かはさておき)、誰のおかげで、新幹線が、長崎に来るごとなったか、分かとっとか」と言う事である。
 「いっちょん分かっとらん」となり、何でも不手際を知事が詫びに来るらしいとか、佐世保市や議会の幹部が集まるらしいとか、ひそひそ話が、もわっとしている。
 一年生議員の僕は、それはどういうことなのだろうと、改めて知る事から始め、大方の内容を理解した時、さて、
 「どうっちゃならん!」と怒りがこみあげてくるのかどうか・・・・ 
   つづく

2016年2月12日金曜日

行政視察 文教厚生委員会

「小中一貫教育 施設分離型5・4制の事例 京都市」

京都市ではかつて200校ほどあった市立小学校、が現在166校となっている。少子化が進む最中の2006年、3小学校の統合話が持ち上がり、保護者や地域の要望の中から5・4制が浮上した。京都市では明治維新を経て学制により義務教育が開始される以前から、町衆が資金を出し合い学校を作ってきた歴史がある。そもそも教育に熱心な土地柄でもあるようだ。自分たちの地域から小学校が無くなることに対する反対に始まり、統合するなら他の地域に誇れるような学校を、と議論は熟成され、開校準備に5年をかけ、保護者のみならず地域を巻き込んだ協議は100回を超え、5・4制の小中一貫教育が実現した。
 そもそも6・3制に合理的な理由はない。むしろ小5・6年には思春期・反抗期が始まり学級崩壊などの問題が引き起こされる。また中学校で環境の変化に対応できない中1ギャップの問題もある。
そこで東山泉小学校の5・4制による小中一貫教育は、土地などの制約もあり、1-5年を西学舎、6-9(中3)東学舎に収める施設分離型としてスタートした。両校者の距離は750メートル程ある。
 京都市内にはすでに施設一体型の小中一貫教育が4・3・2制で行われてもいる。その他にも幼稚園―大学に至る私立の一貫教育や、国立・県立による中高一貫教育もある。ある意味教育の競争激戦地域である。
ご説明をいただいた村岡校長先生に
 「土地の制約から5・4制での施設分離型小中一貫教育ではあるが、もしそうした制約がなければ施設一体型の4・3・2制による小中一貫教育がより良いとお考えですか」とお尋ねしたところ、
 「その方がより理想です」との事であった。この議論の本質は、現状を固定的に考えない事、より良い制度に向かって変化を恐れない事、子供の教育により大事な事は何かという事が原点である事、では無いかと思う。
佐世保市立広田小中学校の施設分離型5・4制が単なる過大校の解消対策に終わる事なく、今後の佐世保市教育行政の先駆的取り組みとして、他の小中学校へも良い事例を示すものであるよう、今後とも行政の監視及び提言活動に取り組みたい。



「小中一貫教育 施設分離型4・3・2制 兵庫県小野市」

小野市では「国際社会の中で たくましく活躍できる 心豊かで自立した人づくり」の理念のもと教育に力を入れた市政運営が行われている。
 ・16か年教育
未来のパパママ教育や7か月児教室などマイナス1歳から15歳までを対象として、単なる育児子育て支援のみならず脳科学の知見に基づく子育ての啓発が行われている。
・小中一貫教育
義務教育期間の9年を連続して捉え、学びのつながりを大切にした教育が行われている。
小野市には8小学校4中学校があるが、均等に2小1中という組み合わせではなく1小1中、3小1中など、通学区地域の状況によって異なる。であるから施設は統合されたりするのではなく既存の小中学校の分離された施設において、小中一貫教育の理念に基づいて行われている。特に東北大学教授川島隆太氏が提唱される「脳科学と教育」の手法を導入し、「10歳の飛躍」と言われる脳が大きく成長する小5から中1かけて教科担任制などを取り入れ学びの充実化が図られている。また中1ギャップの言葉にある心の思春期:反抗期の乗り越えがスムーズに行くように取り組まれている。
 また小野市独自の学力検定「おの検定」が、市教委じたいで採点をするなど市をあげて実施されている。
 小中一貫教育を始めとしたこれらの施策は、教育特区としては取り組まれておらず、あくまでも国の施策の中で運営を独自に工夫し、子供のためにより良い教育はどうあるべきか、という事で、主体的に模索されている。佐世保市の広田小中学校での5・4制も単なる施設の問題としてではなく、施設の狭小によって表面化したいろいろな問題を可能性の広がりに変えて、主体的に取り組む必要があり、今後の教育行政のあり方を注視しなければと思う。少子化は今後さらに進む事が予想され、地域の特性を活かしながら小中一貫教育について研究を深め実践試行する事が必要であり、そのための教育凝視の監視及び提言活動に努めたい。



市立吹田市民病院の地方独立行政法人について
 佐世保市立総合病院が独立行政法人「佐世保市総合医療センター」なることに伴い
 地方独立行政法人化が求められる理由は経営の自由度、特に医療環境に即した迅速な経営が求められることに尽きることは、佐世保市、吹田市においても同じである。また独法化した後、赤字が解消される、あるいは市からの資金的持ち出しが縮減される、そうした事が当然要請されるのだが、救急救命をはじめとした不採算医療や政策医療の担い手である以上、独法化によってそれらがすぐさま実現できるわけでもないことは自明である。
 独法化を契機として携わる人たちの意識が改革向上し、不断の経営改善が常態化し、質の高い医療が実現し、医療を求める人にも施す人にも魅力的な医療機関となることが、求められる。吹田市はその途上にあり、佐世保市はこれから独法化する事となる。
 独法化後は、議会の関与は中期目標の議決によるのみで、経営の自由度は増す一方、評価に対する責任は明確になる。利用者の声が議会およびその議員によって反映されるのではなく、直接独法の経営中枢に伝わり、日々経営改善が行われなければならず、その状況をつぶさに監視しなければならないと考える。
 

2016年2月4日木曜日

交通体系整備特別委員会の要望活動

 2月2.3日、長崎、佐賀、福岡、東京と要望(陳情)活動を行ってまいりました。内容をご報告いたします。



1.松浦佐々道路(松浦IC~佐々IC)の整備促進
  現状は、先行して松浦側から用地の買収、幅杭の施工が行われています。この事が即ち松浦側から着工すると言う事ではなく、これは松浦側の路線計画内に市有地が多くを占め、作業がはかどることによるとの事です。今後とも用地の買収がすすめられます。

2.相浦中里IC~佐世保大塔ICの4車線化の早期事業化
 現在の交通量(日量)は、相浦(この区間の交通量27,000台)中央(20,000台)港(29,000台)大塔、となっている。4車線の基準は日量14,000台で、国の当初の計画ではこの基準以下であり計画交通量(将来最大予測)も23,000台と見込んであった。すでに2車線の現状においてこれをはるかにオーバーしている。
 国の計画・方針ではミッシングリンク解消の後(全線開通の後)4車線化に取り組むということになっていたが、2車線においてこの交通量であることは、全線開通の後には更に交通量が増し、早急な対応が求められる。
 日々の給食の配送や総合病院の救急救命センター機能、など混雑緩和のためにも4車線化が急がれる。また現在港ICがハーフIC(片側乗るだけ、降りるだけ)になっており、4車線化と共にフルIC化することも要望されている。陸上自衛隊の水陸機動団の新編に伴い、水陸機動連隊の一部は相浦駐屯地に置かれ、水陸両用車部隊は崎辺地区に配置されることから、両者の連携展開がスムーズに行われるためにも交通体系の整備が求められる。

3.既存ICにおける交通渋滞解消及び安全対策の早期実現
 大塔のIC写真のように進行方向左側から一般・ETC・兼用とゲートが配置され、
一般からハウステンボス方面に行く車両が他のゲート通過車両の進行を塞ぎ渋滞が発生している。これはゲートから信号までの距離が短いために発生しており、ゲートをできるだけ港方面に後退させた方が良いのだが、料金所設置の基準が道路勾配2%となっているため、そう簡単に後退させることもできない。道路改良が、すなわちお金が必要なのである。

 以上、私が行ったからと言ってどうなるものでも、市議会特別委員会が行けばすぐに対処されるものでもないかもしれないが、現状と解決策を提示することは、重要な事である。

2016年1月5日火曜日

今年の抱負

 
 あけましておめでとうございます。本年もどうぞ、よろしくお願いします。仕事始めにあたり、今年の方針を若干整理しようと、思いました。
 市議会議員として、議会活動では「行財政改革」を大きなテーマとして、一般質問を通して勉強して行こうと思います。と言いますのも、地域の諸問題や今後の活性化など、いろいろなご要望やプランを実現するにつけても、何よりも財政的な裏付けがないと進みません。「お金がない、予算がない」で、すべて話は終わってしまいます。行革は絞る事ではなく、有効に使える予算を増やすことです。
 地域活性化に向け、「北松浦アグリ・アクア・アメニティ」をより具体化したいと思っています。要するに農業と水産業、そして住みよさ・環境をテーマにして九州北西部、佐世保から伊万里に至る北松浦半島をこの共通テーマで地域ブランディングする事です。この大動脈として西九州自動車道の整備が進んでいます。江迎地区に2カ所のインターチェンジができます。
 例えば農業においては、その近辺にライスセンターや育苗センターなどが整備されます。育苗センターは単に米(水稲)のための箱苗だけではなく、ブロッコリーなどの野菜苗が生産され、まるで乗用田植え機の様に畑作の機械化省力化がすすめられ、認定農業者、中核農家、そして法人農業が有機的に連携し、さらに農産加工が整備されます。高齢化した農家の、その栽培ノウハウさえもが先進型農業においては資源になります。
 水産業は沿岸栽培型漁業の研究と生産のその中心的な役割をこの地域が担うようになるかもしれません。また海洋スポーツの拠点になることも、十分にその可能性はあります。
 これからは働き方や余暇の使い方も変わるでしょう。職住一体化のトレンドと共に、郊外でゆっくりとした生活を楽しむトレンドもあります。平戸や松浦も地方創生でその味を出して行けば、その交わる地点である江迎が大きな役割を担います。写真は江迎の高岩にできるインターチェンジから鹿町への取り付け道路の件で、地域の方のご要望をお聞きしているところです。着々と進んでいます。
 地域の方々のご要望、生活相談など細やかに対応し、淡々と日々を送っていきたい、それが議員として1年過ごす方針です。
 会社経営は、できれば社長交代し、自分は農業に関連した事業を立ち上げたいと思っています。焦らずじっくり、ってところです。
 個人的には、長男長女,2人が大学4年生になり、就職が決まれば、ってところです。私本人のアルコール漬けの体、年末にペット検査を受け異常なし、さらに1月中旬に腸の内視鏡検査を受けます。ここで異常がなければ、今後10年は、生きて行けると思われます。淡々と♫タタントタント(^^♪、リズミカルに生きて行く、1年であることが目標です。