2013年9月6日金曜日

富士山に登った夏








2013年7月31日水曜日

土用干し 溜まったままは 膝の水

江迎から松浦に向かう途中、支流があり二つの谷に分かれる。松浦に向かって左手が中尾地区、右手が深川地区となる。中尾地区に比べ深川地区はずっと奥まで谷が続き、その行き止まりの急峻な谷に水田が張り付いている。そんな作場に育てられ、概して僕の地元・深川地区の人たちは働き者が多い。その二つの支流が合流するあたりの洲の水田では、中尾地区深川地区の農民が時として隣り合って農作業をする。
 そんな時、深川地区でも名うての働き者のユーおんちゃんに中尾地区の中核的理論派農家のある人が
 「そがん働かんばなら、月夜の時に一日中働けば!」と言われたらしい。
地区の寄合などで、「こがん事言われてさ」と始まった世間話、しかし「あっちの稗(ひえ)、凄まじかよね」と、みんな、毎年の事ながら感嘆している。あの稗に覆われた水田、深川地区ではありえないことなのである。
 そんな深川地区の谷合も、そのとっかかりで共済組合組合長のおんちゃんが驚異の粘りで先端機械化農業で棚田を維持しているものの、その途中、後継者不在で、ぽつらぽつらと荒れ地が増えてきた。深川地区最下流のユーおんちゃんの田、まるで庭園のように畔の草が土用干しに合わせて刈ってある。この時期水田の水を落とし、地割れが走るくらいに干し上げる。稲の生育、収穫時期の作業効率、いろいろな面でこの土用干しの効果はてきめんである。
 ユーおんちゃんは耕耘、水溜、アラグレ、うえしろ、田植え、などなどずっと働き通し。田に水をためようと頑張ってついに膝に水が溜まってしまった。田の水は落せても、ひざの水は抜けない。僅かに片引く足が痛々しい。
 土用干し 溜まったままは 膝の水
 季語の土用干しは、衣類や書などに涼を入れる虫干しの意味で、水田の中干しの意味は無い様ではあるが。

2013年7月3日水曜日

楊梅(やまもも)

 ナツメや柿や楊梅(ヤマモモ)、子供の頃、野山を駆け巡ってそんな木の実をよく食べた。楊梅がたわわに実ると、そんな昔を懐かしく思い出す。楊梅の表面のざらざらで口が痛くなった事、夜お腹が痛くなった事、誰しもが経験したことである。
 松田九郎先生のもとで政治修行をしている時、驚くべき事は多々あったのだが、昼食のお膳に、この楊梅が小鉢に5、6個入っていて、それに醤油をかけて、これが“おかず”になって、先生はおいしそうにご飯を何杯も食べて、と言うのも驚きの一つであった。松田九郎先生以外に楊梅をおかずにする人を見た事が無い。どの地域の習慣なのか、時々気になる。
 楊梅(やまもも)を 3個頬張り5個握り
食べきれない数の実が成っていただろうに、欲張って食べていたな~

2013年7月1日月曜日

富士山を目指して①

 夕方から2時間半ほど、遠回りに白岳周辺へとウォーキングした。富士登山用の靴の足慣らし、妻が富士登山に耐えられるかの確認、そして数時間の妻との会話の練習(?)などが目的である。初心者用ガイド付き8合目山小屋付のプランを申し込んでいるので、あと2回ほど同じような訓練をすれば、頂上を極める事は出来るだろう。
 子供たちが少しずつ巣立って行く。今年はそのラストイヤーで、来春からは夫婦二人の生活が始まる。結婚21年、これを機会に共通の趣味を持ち有り余る時間を楽しく過ごす、工夫をしなければならない。世界遺産などめぐる旅もいいかな、何て話しながら歩いてみた。意外に楽しく歩けたことに人生の喜びが大きく広がったような気がした。
 「暦(こよみ)」と言うアプリがあって、24節気72候のカレンダーである。候が変わればお知らせマークがつく。今日から5日間ほどが「半夏生(はんげしょう)」となる。夏至から数えて11日目であるそうな。半夏(烏柄杓)と言う薬草が生える頃であるそうな。半夏の葉が半分白くなって、「半化粧」みたいな意味もあるような、薬草では無く「毒草が生える多湿で不純な頃」と表現されている場合も多い。この日天から毒気が降ってくる、ハンゲと言う妖怪が徘徊する等ともいわれ、不浄を行わず、淫慾を犯さず、五辛酒肉を食わぬなどの物忌みの日である。梅雨の鬱陶しさと相まって何となくおどろおどろしい感じがする。そう言えば玄侑宋久の中陰の花って小説が、そんな感じでは無かったかな~。
 そんなこんなの人生を乗越えたのか、五十路は人生の秋、たとえ過ごしにくい梅雨の今も心は秋晴れ、常に心地よい日々を過ごす事が大事である。
 携える五十路(いそじ)楽しや 半夏雨

2013年6月29日土曜日

六月の雨・・・

 ぼつらぼつらとトマトが成り出した。昔のトマトはおいしかったよね、なんてこと、良く聞く話である。確かにそんな印象は強い。確かに店で買うトマトは品行方正の優等生ではあるが味が薄いような気がする。しかし、菜園のトマトは、そこそこに、うまい。不揃いで、売り物にならないようなトマトであるが、“ちゃんとした”塩で食べると旨い。懐かしい昔の味が口の中に広がる。ヘタに“ちゃんとした”塩を着けて何回となくしゃぶる。そうか、トマトの味が薄くなっただけではんなく、塩の味もしなくなったんだな、と気付く。
 6月の終わりころに降る雨を「半夏雨」と言ったりする。二四節気で「夏至」の七二候で「半夏生」に降る雨。大雨になり、梅雨の間の水分をたっぷり含んだ土が、最後の大雨で土砂崩れを起こしたりする。梅雨の最後の大雨、最後に大雨が降らないと梅雨が明けない、そんな大雨を田舎の人は「ハゲ雨」とも言っているような気がする。半夏雨がハゲ雨に土俗化したわけではないだろうが、うっとおしい雨雲をはぎ取る雨、そんな感じで、「ハゲ雨」の表現は心地いい。たぶん、この時期、かつらを取った時の爽快感と、重なるのではないかとも思う。ちなみに僕はかつらではないが・・・
 「虎が雨」と言う表現もある。陰暦五月二八日に降る雨とある。何となく激しそうな印象であるが、曽我兄弟の仇打ちの話の、その曽我十郎の妻:虎御前の涙雨で、しくしく、しとしとである。「虎が雨」を季語とした俳句はなかなか味わい深い。「共感」があるのだと思う。
 虎が雨 昨日の事は 過去の事
 もうすぐどっちゃりとハゲ雨が降る。例年激しい雨に打たれ、跳ね返った土にまみれてトマトは全滅する。“ちゃんとした”塩を何度も何度も付けてヘタをしゃぶった、そのおいしさが、印象に残る。

2013年6月25日火曜日

六月は・・・

冷たい冬から春になり、凍りついた心も解放され、弾み、しかしやがてじめじめとした梅雨を迎える。浮ついた心が行き場のない陰に籠ったり雨に叩かれ厚い雲に押し潰されたりする。心にぽっかり空いた穴、穴と呼ぶにはあまりにもでかい。心以上にでかい穴が心に空く。空に形容できるくらいでかい、重く灰色の6月の空のようだ。
 太宰治もこんな6月に心中した。4、5、6月は統計的にも自殺者が多い。
相変わらず、僕らしい、凡庸で素直な句である。自分的には、好きだな、と自己満足する。
 そんな6月、瞬間的に富士山登山を思い立ち、PCで検索し、空きを見つけ申し込み、飛行機を手配した。実はここ4、5年、富士山に登らねばとの使命感は焦燥感にさえなりつつあった。3人の子供の最後の高3生が7月下旬から、1週間、学校の勉強合宿に行く。富士登山を今まで実現できなかった理由は多々あるのだが、長男長女が大学、次男が合宿と言う、かつてない時間の余裕ができて、その事に気づいたら、すべての予約を30分で完了した。
 これからの人生の為に、雲を突き抜けて見ようと思う。六根清浄六根清浄、唱えながら、青い空に向かっていこうと思う。

2013年5月26日日曜日

梅雨前のひと時

 ツツジを電動の  バリカンで刈り込み、次に畑で空豆の収穫。平穏な一日がすぎて行く。長男長女が大学に行き、家を離れ、やっぱり時間の余裕が出来たのだろう。例年雑草に制圧されて収穫に至らない僕の農園生活も、楽しみながら余裕を持って収穫期を迎えている。
 農業は一連の作業の中で収穫が一番疲れる。これから玉ねぎ、ジャガイモの収穫となる。腰が痛くなる。ゆっくりゆっくり、やろうと思う。iPhoneで音楽を聞きながら。
 初夏の陽気と作業に汗ばみそこに一陣の涼風、紋白蝶までがひらひらと風情を醸し、そんな時はふと仕事のアイデアも浮かんでくる。経営の差は知恵の差、知恵の差は社長の差、そう言われるのであれば、やってやろうじゃない、その差を見せてやろうじゃない、何て空豆の木陰で豆をむしりながら、マイワールドに入っている。
 さて息子を部活に送って行くか・・・

2013年4月1日月曜日

やっぱり俺はー

法政が好きで、一番合ってる大学だったんだと思う。六大学にも序列があって、東大が一番上で法政が一番下と言われる。中央や青山と交われ、何て言われる。そんな法政は実に僕に合っている。
子どもの受験でよく分かった。早慶が良いのは(偏差値が?)東大を落ちて行く大学だからである。そして早慶を落ちて立教明治法政中央青学などいわゆるその頭文字をとってMARCH群が連なる。MARCH群においてどこがどこより上だ下だと言う議論は余り賢い議論ではない。法政は間違いなくどこかを落ちて入る大学であり、どこかから駆け上がって入る大学である。でもそれは法政以外のMARCH群も同じであり、東大以外は同じである。法政はその点がよく分かっていてあえてどこより上でどこより下などの話はしない。それは「含羞」と表現できるかもしれない。他を見下し他を威圧するよう強烈な母校愛もない。しかしそこで過ごした時間や仲間を大事にししっかりとその糧を以って生きている様なOBが多いような気がする。だから活躍するOBは意外に多い。久しぶりの母校、とても綺麗になっていた。
僕が法政じゃ無かったら子供も東京の大学で学ぶことはなかっただろう。娘は妻の母校長大となった。明日が入学式。次男は高3となり来年受験、苦労では無く楽しみはまだまだ続く。



外濠の桜

息子の入学式が午前中に終わり、飛行機の出発時間までまだ相当時間がある。ふと外濠の桜をくぐり母校へ行って見たくなった。日吉から武蔵小杉で乗り換え湘南新宿ラインで新宿駅、そこで立ち喰いソバといなりをたべ、総武線に乗り市ヶ谷で降りる。スタバでカフェラテをテイクアウトして、散りゆく桜の下でベンチに腰を下ろし「北野国から」を書いている。
ー 武蔵小杉ってそんなに良かったっけー
ここには母校の付属高校と体育館やグラウンドなどの施設があり、当時渋谷から東横線に乗り換えて週に一回、体育の授業に通っていた。長男が日吉に通うという事で、この武蔵小杉に住む事になった。今回の上京では、ここを拠点に千葉や埼玉の親類にご挨拶に行ったのだが、武蔵小杉から船橋まで乗り換えなしの直通、また浦和までこれまた乗り換え無しの直通、羽田空港からも京急で品川に出てそこで乗り換えるだけ、それぞれに所要時間も相当に短くなった。武蔵小杉の便利の良さにただ、驚くばかりである。
ー東京の駅の立ち喰いソバは、どこもうまいなー
今朝、入学式に向かう時、駅のそばの松屋で朝定食を食べた。350円程。ご飯に味噌汁、漬物、卵、冷奴、海苔も付いた立派な朝食である。しかし海苔が薄い、空調の風で飛びそうになった。息子言わく、「金持ちはこう言うところ、来んよね。慶応、いっぱいよね、そがん人」。「そうね。向こうにもおらすけんね、そういう人は」、ふとM田社長の顔が浮かぶ。大野にすき家ができた頃、僕は美味しくて美味しくて、相当に、通った。飽きるまで突き進まなければ気が済まない質でもあるのだが。そんな時期のある時、M田社長は真顔で、「こんなとこで、どがん人間が食べるとやろか、まずかやろね〜、折角の食事やけんちゃんとしたとこ行けばよかとに」とのたまわった。「エッ、ヨシギューとかも行った事なかですか」、僕はあえてすき家よりも格上のヨシギューを出して牽制したのだが、M田社長は顔をしかめたままであった。
18歳で初めて上京はした時、駅の立ち喰いソバの人集りに相当な違和感を覚えた。ガツガツしてて、下品でかっこ悪い。それを食べれる様になるまで1年ぐらいかかった。何時の間にか、と言うか多分卒業して田舎に帰ってからだと思う。あれは実に美味しい、見事だ、と思うようになったのは。博多の駅などのホームにうどんがあったりする。そんなのを食べて見ても、記憶で食べ比べている、つくづくと東京の駅の立ち喰いソバは、どの店も美味しい。さっき食べたのも美味しかった。
さて母校に行ってみるか。お濠の向こうには中央大学もできている。



2013年3月29日金曜日

35年前

子供の入学式に合わせ、千葉と埼玉の親類へご挨拶に行く。埼玉は妻の叔母さん、長男長女の受験で随分とお世話になった。千葉は母親のいとこ、僕が35年前に受験でお世話になった。
18歳、僕は受験のために始めて上京した。貧乏とは言わないけど、東京の私立大学に進学するには相当の負担を強いる。受験する大学も絞り旅費も最安、まさに「遠縁の親類を頼りに」と形容されるよう心細いものであった。夜行寝台さくらで佐世保を夕方4時過ぎに出て、翌日朝11時半に東京駅に着く。千葉の西船橋の親戚にお世話になった。常に最小の費用でと言う貧乏性は、今でも心身から抜けない。今回の上京もSKYマーク、安い分神戸を経由する。非常に面倒だ。
初めての上京で電車の乗り方もよく分からない。駅によっては改札を幾つも通る。最初の改札に切符を出してしまい本来出るべき改札では切符がない。困り果て駅員に事情を説明する。何とか通してもらう。みんな優しかった、そんな印象が不思議と今も残っている。あの都会の喧騒の中での孤独感、野心と言う程までには成長していない 成り上がりたいと言う細やかな意地が、自分自身の小ささの自覚と交互に心を打つ。その鼓動が今日に至る僕のエネルギーであったように思う。だから長男が九大を辞めると言った時も、内心は歓迎した。孤独感や挫折感や、そんな中での経験が何よりも大事だと思うから。
長男は武蔵小杉に住む。そう言えば35年前、法政大学の受験もこの駅だった。