法政が好きで、一番合ってる大学だったんだと思う。六大学にも序列があって、東大が一番上で法政が一番下と言われる。中央や青山と交われ、何て言われる。そんな法政は実に僕に合っている。
子どもの受験でよく分かった。早慶が良いのは(偏差値が?)東大を落ちて行く大学だからである。そして早慶を落ちて立教明治法政中央青学などいわゆるその頭文字をとってMARCH群が連なる。MARCH群においてどこがどこより上だ下だと言う議論は余り賢い議論ではない。法政は間違いなくどこかを落ちて入る大学であり、どこかから駆け上がって入る大学である。でもそれは法政以外のMARCH群も同じであり、東大以外は同じである。法政はその点がよく分かっていてあえてどこより上でどこより下などの話はしない。それは「含羞」と表現できるかもしれない。他を見下し他を威圧するよう強烈な母校愛もない。しかしそこで過ごした時間や仲間を大事にししっかりとその糧を以って生きている様なOBが多いような気がする。だから活躍するOBは意外に多い。久しぶりの母校、とても綺麗になっていた。
僕が法政じゃ無かったら子供も東京の大学で学ぶことはなかっただろう。娘は妻の母校長大となった。明日が入学式。次男は高3となり来年受験、苦労では無く楽しみはまだまだ続く。
2013年4月1日月曜日
外濠の桜
息子の入学式が午前中に終わり、飛行機の出発時間までまだ相当時間がある。ふと外濠の桜をくぐり母校へ行って見たくなった。日吉から武蔵小杉で乗り換え湘南新宿ラインで新宿駅、そこで立ち喰いソバといなりをたべ、総武線に乗り市ヶ谷で降りる。スタバでカフェラテをテイクアウトして、散りゆく桜の下でベンチに腰を下ろし「北野国から」を書いている。
ー 武蔵小杉ってそんなに良かったっけー
ここには母校の付属高校と体育館やグラウンドなどの施設があり、当時渋谷から東横線に乗り換えて週に一回、体育の授業に通っていた。長男が日吉に通うという事で、この武蔵小杉に住む事になった。今回の上京では、ここを拠点に千葉や埼玉の親類にご挨拶に行ったのだが、武蔵小杉から船橋まで乗り換えなしの直通、また浦和までこれまた乗り換え無しの直通、羽田空港からも京急で品川に出てそこで乗り換えるだけ、それぞれに所要時間も相当に短くなった。武蔵小杉の便利の良さにただ、驚くばかりである。
ー東京の駅の立ち喰いソバは、どこもうまいなー
今朝、入学式に向かう時、駅のそばの松屋で朝定食を食べた。350円程。ご飯に味噌汁、漬物、卵、冷奴、海苔も付いた立派な朝食である。しかし海苔が薄い、空調の風で飛びそうになった。息子言わく、「金持ちはこう言うところ、来んよね。慶応、いっぱいよね、そがん人」。「そうね。向こうにもおらすけんね、そういう人は」、ふとM田社長の顔が浮かぶ。大野にすき家ができた頃、僕は美味しくて美味しくて、相当に、通った。飽きるまで突き進まなければ気が済まない質でもあるのだが。そんな時期のある時、M田社長は真顔で、「こんなとこで、どがん人間が食べるとやろか、まずかやろね〜、折角の食事やけんちゃんとしたとこ行けばよかとに」とのたまわった。「エッ、ヨシギューとかも行った事なかですか」、僕はあえてすき家よりも格上のヨシギューを出して牽制したのだが、M田社長は顔をしかめたままであった。
18歳で初めて上京はした時、駅の立ち喰いソバの人集りに相当な違和感を覚えた。ガツガツしてて、下品でかっこ悪い。それを食べれる様になるまで1年ぐらいかかった。何時の間にか、と言うか多分卒業して田舎に帰ってからだと思う。あれは実に美味しい、見事だ、と思うようになったのは。博多の駅などのホームにうどんがあったりする。そんなのを食べて見ても、記憶で食べ比べている、つくづくと東京の駅の立ち喰いソバは、どの店も美味しい。さっき食べたのも美味しかった。
さて母校に行ってみるか。お濠の向こうには中央大学もできている。
ー 武蔵小杉ってそんなに良かったっけー
ここには母校の付属高校と体育館やグラウンドなどの施設があり、当時渋谷から東横線に乗り換えて週に一回、体育の授業に通っていた。長男が日吉に通うという事で、この武蔵小杉に住む事になった。今回の上京では、ここを拠点に千葉や埼玉の親類にご挨拶に行ったのだが、武蔵小杉から船橋まで乗り換えなしの直通、また浦和までこれまた乗り換え無しの直通、羽田空港からも京急で品川に出てそこで乗り換えるだけ、それぞれに所要時間も相当に短くなった。武蔵小杉の便利の良さにただ、驚くばかりである。
ー東京の駅の立ち喰いソバは、どこもうまいなー
今朝、入学式に向かう時、駅のそばの松屋で朝定食を食べた。350円程。ご飯に味噌汁、漬物、卵、冷奴、海苔も付いた立派な朝食である。しかし海苔が薄い、空調の風で飛びそうになった。息子言わく、「金持ちはこう言うところ、来んよね。慶応、いっぱいよね、そがん人」。「そうね。向こうにもおらすけんね、そういう人は」、ふとM田社長の顔が浮かぶ。大野にすき家ができた頃、僕は美味しくて美味しくて、相当に、通った。飽きるまで突き進まなければ気が済まない質でもあるのだが。そんな時期のある時、M田社長は真顔で、「こんなとこで、どがん人間が食べるとやろか、まずかやろね〜、折角の食事やけんちゃんとしたとこ行けばよかとに」とのたまわった。「エッ、ヨシギューとかも行った事なかですか」、僕はあえてすき家よりも格上のヨシギューを出して牽制したのだが、M田社長は顔をしかめたままであった。
18歳で初めて上京はした時、駅の立ち喰いソバの人集りに相当な違和感を覚えた。ガツガツしてて、下品でかっこ悪い。それを食べれる様になるまで1年ぐらいかかった。何時の間にか、と言うか多分卒業して田舎に帰ってからだと思う。あれは実に美味しい、見事だ、と思うようになったのは。博多の駅などのホームにうどんがあったりする。そんなのを食べて見ても、記憶で食べ比べている、つくづくと東京の駅の立ち喰いソバは、どの店も美味しい。さっき食べたのも美味しかった。
さて母校に行ってみるか。お濠の向こうには中央大学もできている。
2013年3月29日金曜日
35年前
子供の入学式に合わせ、千葉と埼玉の親類へご挨拶に行く。埼玉は妻の叔母さん、長男長女の受験で随分とお世話になった。千葉は母親のいとこ、僕が35年前に受験でお世話になった。
18歳、僕は受験のために始めて上京した。貧乏とは言わないけど、東京の私立大学に進学するには相当の負担を強いる。受験する大学も絞り旅費も最安、まさに「遠縁の親類を頼りに」と形容されるよう心細いものであった。夜行寝台さくらで佐世保を夕方4時過ぎに出て、翌日朝11時半に東京駅に着く。千葉の西船橋の親戚にお世話になった。常に最小の費用でと言う貧乏性は、今でも心身から抜けない。今回の上京もSKYマーク、安い分神戸を経由する。非常に面倒だ。
初めての上京で電車の乗り方もよく分からない。駅によっては改札を幾つも通る。最初の改札に切符を出してしまい本来出るべき改札では切符がない。困り果て駅員に事情を説明する。何とか通してもらう。みんな優しかった、そんな印象が不思議と今も残っている。あの都会の喧騒の中での孤独感、野心と言う程までには成長していない 成り上がりたいと言う細やかな意地が、自分自身の小ささの自覚と交互に心を打つ。その鼓動が今日に至る僕のエネルギーであったように思う。だから長男が九大を辞めると言った時も、内心は歓迎した。孤独感や挫折感や、そんな中での経験が何よりも大事だと思うから。
長男は武蔵小杉に住む。そう言えば35年前、法政大学の受験もこの駅だった。
18歳、僕は受験のために始めて上京した。貧乏とは言わないけど、東京の私立大学に進学するには相当の負担を強いる。受験する大学も絞り旅費も最安、まさに「遠縁の親類を頼りに」と形容されるよう心細いものであった。夜行寝台さくらで佐世保を夕方4時過ぎに出て、翌日朝11時半に東京駅に着く。千葉の西船橋の親戚にお世話になった。常に最小の費用でと言う貧乏性は、今でも心身から抜けない。今回の上京もSKYマーク、安い分神戸を経由する。非常に面倒だ。
初めての上京で電車の乗り方もよく分からない。駅によっては改札を幾つも通る。最初の改札に切符を出してしまい本来出るべき改札では切符がない。困り果て駅員に事情を説明する。何とか通してもらう。みんな優しかった、そんな印象が不思議と今も残っている。あの都会の喧騒の中での孤独感、野心と言う程までには成長していない 成り上がりたいと言う細やかな意地が、自分自身の小ささの自覚と交互に心を打つ。その鼓動が今日に至る僕のエネルギーであったように思う。だから長男が九大を辞めると言った時も、内心は歓迎した。孤独感や挫折感や、そんな中での経験が何よりも大事だと思うから。
長男は武蔵小杉に住む。そう言えば35年前、法政大学の受験もこの駅だった。
2013年3月9日土曜日
優しさに包まれたるや 春霞
国立大学の合格発表が昨日8日行われ、長女もどうにか地元N大学に合格し、私立連敗の滑りを止める事が出来た。親子ともどもホッとしている。長男は10日の最難関T大の発表を待つ身ではあるが、すでにK大で滑りを止めている。ここ3年、僕のそして家族の大きな問題は、この受験であった。それは楽しみでもあったのだが、この受験戦争さえ潜り抜ければ「春の心はのどけからまし」である。
今朝、いつものように出勤に合わせ子供を学校へ送る。しかし今日から次男だけ。西高に娘を降ろしていたが、今日からは佐々で高速に乗り北高直行、そして高速で佐々に戻り会社へ、となる。家を出る時、子供が車に乗り込む時、車の中で、あっという間に北高に着き、会社に着いた時、その時その時に言いようのない大きな開放感が、体の芯から湧いてきた。おぼろに霞み、高速からは棚引く様も見る事が出来た。春霞、このモヤッとした感じは気分次第では、見通しの悪さ、何となくのすっきりとしないウェット感、を引き起こすのかも知れないが、今日は優しさに包まれたような感じである。棚霞は天女の微笑みにさえ見えた。
優しさに包まれたるや 春霞
さて長女改造計画、当初の計画は東京のT女に入れて、寮に入れて、合気道部に入れて、留学をして、と言う事でコミュニケーション能力と体幹・体力を鍛える事、改造する事を目指した。T女に関しては模試のたびごとにA判定であり、まさか落ちるとも思っていなかったのだが、その落ちた原因は僕がひそかに娘改造計画の必要性を感じた事と同じ根っこなのである。要するに田舎者は物おじする。特に優秀であればあるほど、田舎の優等生は都会や異質なものに対して、臆するのである。むしろオオチャクモン、不良、の方が生きる力が強い。N大学経済学部で学び、経済学原論、ケインジアンやマネタリスト、シュンペーターにドラッガー、成績表にA判定が並ぶ。自信満々に就活に入る。しかしどうしても面接で落ちる、しかも最終面接の前の前の前位の面接で落ちる。え、何で、と当惑する、こんなに成績がいいのに。しかし僕にはわかる。こんな22歳程度の小娘にドラッガー何ぞ聞く事も必要もない。そんなAの数何ぞ、会社の戦力にならん、そんな会社幹部のつぶやきが聞こえるのである。想定外の会社に入り、新入社員歓迎会でバカをやる事も無く、そこそこに仕事をこなすのだが、処理的な仕事はできても、創意的な仕事はできない。少しずつ存在が霞む。えっ、あの子N大経済学部、けっこう名門よ、と周りはつぶやくようななる。そんな何年後かの会話が、僕にはリアルに聞こえる。
で、来週福岡のミッション系のS大学の合格発表がある。長崎では近すぎる、せめて福岡ぐらいの距離と都会的な猥雑性の中で生活し、友達が一人もいない中での友達づくり、つまり孤独感を経験する事が必要である。N大学は近すぎる、それに合気道部がない。そこで福岡のS大に合格すれば、そこの合気道部へ行くように勧めようと思うのである。畳に投げられ、関節を絞められ、打たれる。精神的打たれ強さは、肉体的鍛錬によって涵養されるのである。そして凛としたたたずまいを身につけて留学をする。武道の素養のある女性は留学先でも存在感があり・・・・・・・・・・
と言う事で僕の妄想はN大学コースS大学コースに分かれ、リアルに進行している。その内、続きを書きます・・・ To be continued
2013年2月23日土曜日
順調に乗り換えて
長男は、中央大学法学部ともう一つ、立教の経済もセンター利用で受験していたようである。早慶の発表の前に中央は入学手続きの締め切りが来るので、順調にいけば、中央大学に入学金を納め、それを捨てて早慶のどちらかに入学金を納めて、それを捨てて、東大に入る事になる。たまたま立教も受けていたので、中央の締め切りが、立教の発表となり、立教の締切日は早稲田の発表日、その前に慶応の発表、という日程になる。
長男にどうするか、どうしたいか、話し合ったところ、東大早慶でなければ中央も立教も、どうでもいい、との事であった。そこで、中央→立教→早慶と、素早く乗り換え、入学金25万円ほど、節約する事となった。立教のセンター試験も合格し、いよいよ、今日、慶応理工の発表となった。
合格、おかげさまの合格。分厚かった東大早慶の牙城の一角を崩し、いよいよ週明け月曜から頂上決戦となる。
対して長女の方は振るわない。センターの不出来ショックからなかなか立ち直れず自信喪失気味である。模試でずっとA判定を取っていたT女もダメ、当然C判定のRもダメ、最終ディフェンスライン、ランクを下げてのチャレンジである地元国立に月曜日臨む事となる。さてどうなる事か・・・
浪人もいいな、と思う。長男はやはり2浪しなければ自分がどういう方向に進むか、その志、そして家族や周りへの感謝の心が、学力よりも何よりも最も大事なそれらに、気付かなかったのである。この数カ月、学力よりも何よりも、それらが、伝わるようになった。そもそもその領域の学力なんて、僕に分かるはずもなく、僕はただ、学力よりも何よりも、志と感謝の心、その事をずっと見ていた。長男は間違いなくその部分が成長していた。長女も然りと思う。当然、大学生になって進むべき道を探すのもいい。そしてまた受験失敗→浪人と言う屈辱の中で自分を見つめるのもいい。幾度かの辛酸を経て志はじめて堅し、とも言う。そう考えれば長女はまだ、時間がたっぷりとある。
長男にどうするか、どうしたいか、話し合ったところ、東大早慶でなければ中央も立教も、どうでもいい、との事であった。そこで、中央→立教→早慶と、素早く乗り換え、入学金25万円ほど、節約する事となった。立教のセンター試験も合格し、いよいよ、今日、慶応理工の発表となった。
合格、おかげさまの合格。分厚かった東大早慶の牙城の一角を崩し、いよいよ週明け月曜から頂上決戦となる。
対して長女の方は振るわない。センターの不出来ショックからなかなか立ち直れず自信喪失気味である。模試でずっとA判定を取っていたT女もダメ、当然C判定のRもダメ、最終ディフェンスライン、ランクを下げてのチャレンジである地元国立に月曜日臨む事となる。さてどうなる事か・・・
浪人もいいな、と思う。長男はやはり2浪しなければ自分がどういう方向に進むか、その志、そして家族や周りへの感謝の心が、学力よりも何よりも最も大事なそれらに、気付かなかったのである。この数カ月、学力よりも何よりも、それらが、伝わるようになった。そもそもその領域の学力なんて、僕に分かるはずもなく、僕はただ、学力よりも何よりも、志と感謝の心、その事をずっと見ていた。長男は間違いなくその部分が成長していた。長女も然りと思う。当然、大学生になって進むべき道を探すのもいい。そしてまた受験失敗→浪人と言う屈辱の中で自分を見つめるのもいい。幾度かの辛酸を経て志はじめて堅し、とも言う。そう考えれば長女はまだ、時間がたっぷりとある。
2013年2月9日土曜日
中央大学法学部の理念と打算
簡単に九大に入った長男は簡単に九大を止め、浪人すればそれなりの努力で東大に入れるだろうと考えていたようで、まして、早慶など、落ちるわけがない、などとほざいていた。東大早慶の全落ちは相当に応えたようであった。いよいよ入試のシーズンを迎え、強気と弱気、高揚感と挫折感が周期的に入れ替わり、自らが選択した道とは言え、プレッシャーも相当なものであるようだ。3浪は有り得ない、それは経済的にも時間的にもそして精神的にもである。それを避けるために、今回は周到に準備をしなければならない。漸進:匍匐(ほふく)前進、である。少しずつ前に、橋頭堡を築いて、少しずつ前に。
理想は、センター試験に圧倒的に勝利し、早稲田の文系センター利用を一つ確保することである。慶応はセンター利用入試の制度はなく、早稲田も理系にその制度はない。ただ私立の他大学と違ってセンター試験の翌日に願書提出ができる。しかし国語で思うように点数が伸びなかった長男は、早稲田のセンター利用を諦める事になった。早慶並みで他を探すとなれば中央大学の法学部、である。センター試験前に中央の法学部を出し、センター後に早稲田の学部を選んで、と目論んだのだが、結局、センター利用は中央大学だけとなった。
早慶の理工もなかなかハードで、加えて東大理1となると、3浪の危険率は高まり、マインドが委縮し十分な力が発揮できないかもしれない。東大早慶の前に何としても安心材料が必要である。中央大学法学部、司法試験合格者で東大と激しくしのぎを削る名門大学、さすがに名門を維持し続ける確固たる戦略があるようだ。
何とセンター利用で選ばれるにあたり、文系の法学部であるにもかかわらず、長男の場合、英語(200点)、国語(100点)、数学(100点)、物理(100点)、化学(100点)の選択(計600点満点)ができるのである。あえて社会科科目を入れる必要はない。早稲田のセンター利用と大きく科目が違う。長男の場合このチョイスならば9割近くの得点となる。かくして、合格となる。中央大学は理系文系問わず、難関国公立大学におしくも漏れた優秀な人材の受け皿となるとの作戦であるらしい。難関司法試験を勝ち抜くにあたっては、主に3科目の限られた入試の私立大学型秀才よりも幅広く科目を課せられる国立大学型の人材の方が対応力があり、さらに人間性が謙虚でまじめとの考えによるとの説もある。
さらに入学手続きの締め切りが早慶の合格発表の前、また一般的には取り敢えず入学金だけを納めればよいものが中央大学の場合は半期の授業料も納めなければならない。当然入学しない場合は授業料は返ってくるのだが、難関国立大を第一志望とし、さして早慶ブランド信者でなければ、司法試験の実績の上からでも、中央大学を選ぶであろう。
長男の場合理系であり、希望としては東大理1、慶応理工、早稲田理工となるのだが、ここで中央の法学部を決めた事は、精神的には大きな一歩である。どうにか3浪は免れた様である。
理想は、センター試験に圧倒的に勝利し、早稲田の文系センター利用を一つ確保することである。慶応はセンター利用入試の制度はなく、早稲田も理系にその制度はない。ただ私立の他大学と違ってセンター試験の翌日に願書提出ができる。しかし国語で思うように点数が伸びなかった長男は、早稲田のセンター利用を諦める事になった。早慶並みで他を探すとなれば中央大学の法学部、である。センター試験前に中央の法学部を出し、センター後に早稲田の学部を選んで、と目論んだのだが、結局、センター利用は中央大学だけとなった。
早慶の理工もなかなかハードで、加えて東大理1となると、3浪の危険率は高まり、マインドが委縮し十分な力が発揮できないかもしれない。東大早慶の前に何としても安心材料が必要である。中央大学法学部、司法試験合格者で東大と激しくしのぎを削る名門大学、さすがに名門を維持し続ける確固たる戦略があるようだ。
何とセンター利用で選ばれるにあたり、文系の法学部であるにもかかわらず、長男の場合、英語(200点)、国語(100点)、数学(100点)、物理(100点)、化学(100点)の選択(計600点満点)ができるのである。あえて社会科科目を入れる必要はない。早稲田のセンター利用と大きく科目が違う。長男の場合このチョイスならば9割近くの得点となる。かくして、合格となる。中央大学は理系文系問わず、難関国公立大学におしくも漏れた優秀な人材の受け皿となるとの作戦であるらしい。難関司法試験を勝ち抜くにあたっては、主に3科目の限られた入試の私立大学型秀才よりも幅広く科目を課せられる国立大学型の人材の方が対応力があり、さらに人間性が謙虚でまじめとの考えによるとの説もある。
さらに入学手続きの締め切りが早慶の合格発表の前、また一般的には取り敢えず入学金だけを納めればよいものが中央大学の場合は半期の授業料も納めなければならない。当然入学しない場合は授業料は返ってくるのだが、難関国立大を第一志望とし、さして早慶ブランド信者でなければ、司法試験の実績の上からでも、中央大学を選ぶであろう。
長男の場合理系であり、希望としては東大理1、慶応理工、早稲田理工となるのだが、ここで中央の法学部を決めた事は、精神的には大きな一歩である。どうにか3浪は免れた様である。
2013年2月1日金曜日
九大と東大と東工大と・・・③
九州では九大が圧倒的かつ抜きん出た存在である。それでは東大が東京で或いは日本で圧倒的に抜きん出た地位にあるかと言えば決してそうではないようである。ちなみに理化学系のノーベル賞においては京都大学が圧倒的に多い。医学では慶応大学なども独特の存在感があり、文学ではノーベル賞候補村上春樹は早稲田、東大のトップクラスは圧倒的に天才ではあるようだが、その他の部分は正確なヒエラルキーでは無く重層構造であるようだ。ただしこうした東大でもトップに君臨できないと言う事は、もともと優秀な東大生がさらに日頃努力をしなければならないと言う事であるから、当然、この階層は進むべき方向に住み分けながら、不断に努力し能力が向上するのだろう。得てして批判される日本の教育制度、大学制度ではあるが、垣間見ると、そこそこじゃん、とも思う。で、やはり東京が刺激は多いと思う。で、子供たちにもその刺激を日々に得られる環境におきたいと思う。東大の様なトップクラスの階層では無くても、娘も然りである。
長男は東大を受験することを決めた。長女は某女子大とその上のクラスの有力私大国際系、にチャレンジする。某女子大にはこれまでの色々な模試でA判定も出ており安心していたのだが、センター試験の不調とそれをもとにした高校の面談で、一機にマインドが萎え、恐る恐るの日々をこれから過ごすことになる。長女がこれから社会に出る、その前の訓練期間としての大学生活では対人力、コミュニケーション能力、若干の専門知識とそれを表現する語学力を鍛えなければならない。人格をズタズタにして新しく組みなおす位の事が必要で、日々の良い刺激が要る。今のままでただ大学の学問的知識が増えても、経営者的な目から見ればあまり欲しくない人材である。その環境に置くか、4年後に就職で苦労するか、自明である。今より良い環境を目指す、と言う事で長女も従来方針通り、明日から上京し、入試に臨む。一年を雌伏してでもそう進むのである。
センター試験の難化は18歳の少年少女の心をかきむしり、各家庭で色々なドラマが繰り広げられているようである。親と子の意見の対立もあるだろう。でもこれって、楽しい事なんだ、と思えるかどうか、まずはここが分かれ道の様な気がする。
長男は東大を受験することを決めた。長女は某女子大とその上のクラスの有力私大国際系、にチャレンジする。某女子大にはこれまでの色々な模試でA判定も出ており安心していたのだが、センター試験の不調とそれをもとにした高校の面談で、一機にマインドが萎え、恐る恐るの日々をこれから過ごすことになる。長女がこれから社会に出る、その前の訓練期間としての大学生活では対人力、コミュニケーション能力、若干の専門知識とそれを表現する語学力を鍛えなければならない。人格をズタズタにして新しく組みなおす位の事が必要で、日々の良い刺激が要る。今のままでただ大学の学問的知識が増えても、経営者的な目から見ればあまり欲しくない人材である。その環境に置くか、4年後に就職で苦労するか、自明である。今より良い環境を目指す、と言う事で長女も従来方針通り、明日から上京し、入試に臨む。一年を雌伏してでもそう進むのである。
センター試験の難化は18歳の少年少女の心をかきむしり、各家庭で色々なドラマが繰り広げられているようである。親と子の意見の対立もあるだろう。でもこれって、楽しい事なんだ、と思えるかどうか、まずはここが分かれ道の様な気がする。
2013年1月29日火曜日
九大と東大と東工大と・・・②
センター試験が終わった。全体的に国語と数1が例年以上に難しかったようである。長男も長女も国語はそこそこ、数学は長男は理系であり、長女は文系の割には得意科目、である。長男は国語で予定に40点足らず(200点満点)、長女は全国平均をちょっと上回った程度である。数学は長男はなんとかこらえたものの、長女は国語並みの落ち込みで、センター試験が終わった瞬間、両人とも全てが終わったような感じではなかったろうかと思う。長男はセンター2日目が終わった夜、すでに大学生となっている友達と夜、食事をし、東大から東工大への進路変更を決めたようであった。
翌日、長男と電話で話し合った。
「東工にする」、と長男。
「そうか、分かった、そっちが良いかもね」と答え、
「ただね、もうちょっと待って、今年ものすごく平均が低いらしい。で、去年足切りが770点やったけん、その換算で800超えるのを目安にしてたけど、今年の足切りから3、40点超えてたら、東大受ける」
「そうか、でも早めに方針決めて対策せんと間に合わんやろ」
「そうけどさ、ただね、今東大の数学でさえちょっと詰まり気味とに、今から東工の数学に対応できるかって問題もあるし」、との事であった。
日本の大学制度は、東大を頂点に正確な偏差値の階段が刻まれているものと思っていたが、どうやらそうではないらしい。このクラスの大学では偏差値による大学のランク付けはむしろ必要ないようである。それなりの特徴があり、入試と言う学生選抜においても、その特徴に合う学生を選ぶと言う事が徹底しているようである。俗に日本のエリートは「東京一工」と言うらしい。東大京大一橋東工の4大学である。東大のトップクラスは別として、その世界では東大生なら京都、一橋、東工を受ければ受かる、ものではないようである。その大学を目指し、そのための準備をしなければ受からない。センターで点が足らずに東大から降りてきても、ほとんど受からない、そうである。そもそも「降りてくる」ものではないのである。長男の場合、一浪の頃から東工大は常にA判定が出ていた。東大には出ない。しかしここで東工大に進路を変えてA判定だから通りやすいと言うのは、当事者以外、しかもその世界を体験していない者の意見でしかないようである。
東大はセンター試験900点満点を110点満点に圧縮し、それを持ち点にして、二次試験では理系の場合英語、数学、理科が120点、国語が80点、合計550点満点となる。東工大はセンターで600点を超えれば受験できる。センターはただそれだけのことで、2次試験だけの評価となる。数学300点、理科300点、英語150点の750点満点。その試験時間たるや数学で180分、理科は例えば物理・化学で120分120分の計240分。日本で一番長時間の過酷な試験とも言われているようだ。東大と東工大、どんな学生に来てほしいのか、この入試の仕組みを見ると、なるほどと理解できる。
さて、どうするか・・・
2013年1月26日土曜日
九大と東大と東工大と・・・①
2年前、長男が九大に合格した。本人には意に沿わない大学なのではあるが、しかし名門である。センター利用で明治の工学部には合格していたが、九大とは比べようがない。早慶に落ち、九大に行く事になったのである。入学に際し福岡での一人暮らしの家財道具を買うために、付近のナフコなどを回った。
「大学に入って、一人暮らしですか、えっ、九大ですか」とレジのおばちゃんまでが、長男のチャライ風貌と見比べ、驚く。それほどまでに長男がチャライのでは無く、福岡、或いは九州においての九大ブランドは圧倒的なのである。その事を実感した。その九大を、5月の連休を前に、辞めると言いだした。辞めるのは止めろ、と説得はしたのだが、本人の意思は固い。しかし実は、自分自身、それでも良いという思いがあった。この長男の何の苦労もしていないわがままな性格に、田舎の優等生のプライドを加えたら、将来どうなるのかな、まさに危惧である。全国レベルどころかこれからは海外さえも普通の仕事場である。そんな将来を見つめれば、今あえて苦労を選ぶのであれば、それも良し、と思ったのである。
浪人1年目、東大のセンター試験足切りはかろうじてクリアしたものの合格ならず、また早慶もダメ、想定外の2浪生活に入った。初めての挫折のようであった。その後今日に至るまで気の緩み、ダレ、マンネリ、12月を過ぎたころからの不安感、焦燥感、危機感、そして恐怖心、それらが重くのしかかっていたようである。ただ親の目にはその経験が、長男を少しずつ大きくさせている事を見る事も出来た。この長男には九大もダメ、それを止めてすぐに東大・早慶に入るのもダメ、今のようにプレッシャーに押しつぶされそうになり、さらにそれを克服する事こそが是非とも必要であったようである。
センター試験が終わった。800点取れなかったら東大から東工大へ進路変更、を長男と決めた。浪人1年目は、東工大に行くくらいなら早慶に行く、と平然と言っていた。僕もそうね管直人が出たとこなんて止めとけ、と言ってはいた。しかし東工大についてホームページで調べてみるとなかなか優秀な大学である。教育環境、学費、早慶とは比較にならない。長男も成長しそれまでの表層的な大学ブランドからの視点から解放されたようである。大学に入れば例えば海外留学も普通にあるだろう。親の経済的な負担や教育環境、どう自分が伸びていくのか、そうした事を考える事が出来るようになったようである。一般的には普通の事のようではあるが。
東大と東工大の話へと・・・続く。
「大学に入って、一人暮らしですか、えっ、九大ですか」とレジのおばちゃんまでが、長男のチャライ風貌と見比べ、驚く。それほどまでに長男がチャライのでは無く、福岡、或いは九州においての九大ブランドは圧倒的なのである。その事を実感した。その九大を、5月の連休を前に、辞めると言いだした。辞めるのは止めろ、と説得はしたのだが、本人の意思は固い。しかし実は、自分自身、それでも良いという思いがあった。この長男の何の苦労もしていないわがままな性格に、田舎の優等生のプライドを加えたら、将来どうなるのかな、まさに危惧である。全国レベルどころかこれからは海外さえも普通の仕事場である。そんな将来を見つめれば、今あえて苦労を選ぶのであれば、それも良し、と思ったのである。
浪人1年目、東大のセンター試験足切りはかろうじてクリアしたものの合格ならず、また早慶もダメ、想定外の2浪生活に入った。初めての挫折のようであった。その後今日に至るまで気の緩み、ダレ、マンネリ、12月を過ぎたころからの不安感、焦燥感、危機感、そして恐怖心、それらが重くのしかかっていたようである。ただ親の目にはその経験が、長男を少しずつ大きくさせている事を見る事も出来た。この長男には九大もダメ、それを止めてすぐに東大・早慶に入るのもダメ、今のようにプレッシャーに押しつぶされそうになり、さらにそれを克服する事こそが是非とも必要であったようである。
センター試験が終わった。800点取れなかったら東大から東工大へ進路変更、を長男と決めた。浪人1年目は、東工大に行くくらいなら早慶に行く、と平然と言っていた。僕もそうね管直人が出たとこなんて止めとけ、と言ってはいた。しかし東工大についてホームページで調べてみるとなかなか優秀な大学である。教育環境、学費、早慶とは比較にならない。長男も成長しそれまでの表層的な大学ブランドからの視点から解放されたようである。大学に入れば例えば海外留学も普通にあるだろう。親の経済的な負担や教育環境、どう自分が伸びていくのか、そうした事を考える事が出来るようになったようである。一般的には普通の事のようではあるが。
東大と東工大の話へと・・・続く。
2013年1月7日月曜日
去年今年 貫く螺旋の如きもの
原文は「去年今年(こぞことし) 貫く棒の如きのも」(高浜虚子)である。解釈は読む人それぞれである。新年とか旧年とか、何となく正月になると改まるのだが、単に昨日と今日にすぎない、何も変わらない、と言ってるように僕には思える。「棒」と言う字から、何の変哲もなく、昨日と今日の違いだけじゃん、新年を大仰に取り扱わなくてもいいじゃん、そんな感じで受け止められる。しかしまた「棒」と言う文字から「心棒」を連想し、大事なのは日頃の心の中のぶれない基本、じゃないの、何が新年の決意なのよ、と言ってるようにも聞こえる。
長男が大学1年生から浪人1年生となり、浪人2年生として新年を迎えた。足踏み状態である。しかし長女は高校2年生から3年生へ二男は1年生から2年生へ進級した。今年は予定では大学生が二人になり高3の受験生が一人になる。トップランナーが停滞すると何となく全体が足踏みしているように感じる。しかしみんな成長している。
去年と今年、何の変哲もなく繰り返しているようであるが、少しずつ成長している。螺旋の様なものに突き抜かれ、或いは螺旋構造の時間軸の中で、時に気付かないほどに緩やかな坂道だけど、登っている、成長している、のである。
仕事では、ここ数年かけて輸入住宅とリフォーム分野を育ててきた。この取組みの延長、螺旋構造を一段上り、輸入住宅では土地建物2000万円未満の建売住宅をメープルタウンとして街並みともどもに売って行こうと思う。リフォームでは同様な価格帯でリノベーションハウスとして、民家再生し街中の活性化の事例提供としたい。江迎で再生中の民家は頑丈にできていて、味のある小屋組みがあり、その部分を見出しでするようにしている。
生活面ではハーレーの安全運転とそれっぽくメカの話ができるようになる事、サックスはジャズとビートルズナンバー。ゴルフは2回に1回は90を切る。
1月12日に累積点数5点が戻る。19、20日がセンター試験、2月は私立の試験と発表、下旬に国立、3月入学手続き、家探し、4月入学式、忙し忙し・・・

去年と今年、何の変哲もなく繰り返しているようであるが、少しずつ成長している。螺旋の様なものに突き抜かれ、或いは螺旋構造の時間軸の中で、時に気付かないほどに緩やかな坂道だけど、登っている、成長している、のである。
生活面ではハーレーの安全運転とそれっぽくメカの話ができるようになる事、サックスはジャズとビートルズナンバー。ゴルフは2回に1回は90を切る。
1月12日に累積点数5点が戻る。19、20日がセンター試験、2月は私立の試験と発表、下旬に国立、3月入学手続き、家探し、4月入学式、忙し忙し・・・
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